【車屋四六】夏川静枝とダットサン

コラム・特集 車屋四六

むかしデパートを百貨店と呼んだ。その最古が江戸の越後屋(現三越)だと思っていたら、その11年前に白木屋が開業していた。
夏川静枝とダットサン開業していた。日本橋交差点角の白木屋は、東急デパートになり、現在はコレド日本橋だから、東急までが日本最古の百貨店の血筋ということになる。

その336年という長い歴史の幕を閉じたのは99年1月31日。日本経済新聞のそんな記事を読んでいたら、1月24日夏川静枝/89才死去という記事が載っていた。

夏川静枝を知ってる人は、もう稀だろうが、09年生まれ、7才で初舞台という、昭和を代表する名優だった。
そんな名女優とダットサンとの写真(上)がある。

車は36年型ロードスター15型。圧縮比を0.2上げて1馬力向上した新型で、値段は1750円だが、あんパン5銭、封切り映画55銭、大卒初任給70円の頃だから、庶民には高嶺の花である。
全長3185㎜、全幅1190㎜車重630kg/セダン。直四・722cc・圧縮比5.4で16馬力。フロアシフト3MTで最高速度80㎞。

当時の日産は、競争にも熱心だった。36年の多摩川スピードウエイ日本自動車競争大会には、2台出走で優勝をさらっている。
その姿はミッドシップ型になる前の葉巻型レーサーで、ボアアップで747ccにして、ルーツ製スーパーチャージャーで40.5馬力は、当時では高性能レーシングカーだった。

多摩川で優勝のダットサン・レーサー。747ccを誇示し、中央のトロフィーには{商工大臣賞}とある

夏川静枝は69年からの芸名で、文化学院中等部を24年/大正13年に中途退学して日活映画と契約した時は、本名のままの静江。
デビュー作は、27年作、岡田時彦(女優岡田茉莉子の父)&岡田嘉子主演{彼をめぐる五人の女}で端役だった。

が、翌年に瓢箪から駒が出る。有名な岡田嘉子の亡命事件。演出家杉本良吉と樺太から国境を越えてソ連へ駆け落ちしたのだが、スパイ容疑で岡田は10年の刑、杉本は銃殺されてしまった。
さて徳富蘆花作{椿姫}クランクイン直前の主役逃亡で静江にお鉢が回り、映画はヒット、日活看板女優の座を手にしたのである。

静江とダットサンとの縁は、30年作{この太陽}での山内暁子役。超モダンガール役での半裸体姿が話題に。といっても乳首ギリギリに巻いたバスタオルの湯上がり姿だが、当時の感覚では世の中ビックリ仰天も当たりまえ、という出来事だった。そして劇中に登場するのがダットサンというのが縁だったようで、日産宣伝課の目にとまり、モデル契約を結んだと思われる。

このころ日産の宣伝は先進的で、女学校卒のダットサンガールを組織したが、当時女学校は裕福な家庭の娘達が通うところだから、職業に就かせるということは難しかったはずである。

女優のキャンペーンもその一端で、夏川ばかりでなく、山田五十鈴、轟夕紀子、水之江滝子、入江たか子など、当時の第一線級大物女優をモデルに起用している。

夏川静枝は、親子二代にわたってダットサンとは縁が深い。
娘の夏川かおるも女優で活躍したが、自動車が好きで、ダットサン・フェアレディーでレースに夢中だった時期があり、我々の仲間でもあり、飲んだり食べたり、明るい陽気な娘だった。

夏川かおるとフェフェアレディー2000。背景が大磯らしいのでプリンスホテル駐車場でのジムカーナと記憶する