20世紀中、乗用車の動力源と云えば電池、ガソリン&ディーゼルエンジン、そして電池とエンジンがコラボしたハイブリッド。世紀中、他にも多くの動力源開発があったが成功したのは少ない。
残念だったのがロータリーエンジン。実用化そして量産化にも成功したのに、石油ショックで普及せずに終わってしまったこと。
また、水素エンジンやガスタービンも、完成に近づいていたが、実用化には至らなかった。
今回は、そのガスタービンを紐解いてみよう。各国で自動車搭載に夢中になったのは50年代。
試作に成功したトヨタのガスタービンバスに乗ったことがある。
クライスラーも乗用車搭載に成功するが、GM、フォード、フィアット、ルノーなども開発を競い、最も実用化に近かったのがイギリスのローバーだった。
さて20世紀、飛行機エンジンと自動車エンジンは密接な関係を持ちながら両立発展してきたが、飛行機用に開発されてから自動車に流用というのがジェットエンジン=ガスタービンである。
ちなみに世界初のガスタービンはBMW製。その高性能を目にとめたヒトラー総統の命で、世界初のジェット戦闘機、ハインケル単発戦闘機やメッサーシュミット双発戦闘機が大戦末期に登場、その高速に連合国軍は音をあげたものだった。
当時、連合国軍最速の戦闘機が時速600km前後なのに、時速800kmも出されたのでは打つ手が見つからないのも当然。
ついでに早さなら、唯一実用化されたメッサーシュミットMe163ロケット戦闘機が、時速980kmだった。
戦中実用化されたガスタービンだが、画期的動力源を自動車にと考えるのは道理で、複数のメーカーが開発にチャレンジする。
結果、開発に成功して史上初の栄冠を手にしたのはイギリスのローバー社。ローバーJET-1は、フォードア・サルーンのローバー75をオープンにして、後席&トランク部に200馬力の小型ガスタービンエンジンを搭載していた。
さすがジェットカー、JET-1の性能は当時の乗用車と較べれば群を抜き、時速151マイル、時速に直せば240km。そんな50年の日本に登場の新型車は、時速100kmにも達しないダットサンスリフトやオータPB、あまりにレベルが違いすぎる性能差であった。
50年=昭和25年、日本は未だ敗戦の痛手が癒えず、空襲の焼け跡には焼トタンのバラック小屋、食べるものも着るものも不足というのに、インフレで物価だけが上昇して、新札登場した。
オヤジが見せてくれた、聖徳太子の千円札が珍しかった。
本気でガスタービンの実用化販売を考えたローバーは、研究開発の成果として、56年にT3型クーペをロンドン・アールズコート乗用車ショーに出品する。
その頃の日本は電化ブーム。売春禁止法成立。ロックンロール流行の頃。二種免許・大型免許新設で、わたしの免許は自動的に大型二種に。前年にクラウンが登場した年だった。
そこうしているうちに、ガスタービン車が世界の注目を浴びるのが63年のルマン24時間レース。入賞対象外特別参加のゼッケン“00”が、全車スタート完了30秒後に、かん高い排気音を振りまきながら走り出した。
それはレーシングカー造りの名門BRMとコンビで完成したローバーJETレーサーだった。ドライバーは、グラハム・ヒルとリッチー・ギンサー、どちらも世界的な著名ドライバーである。
30秒遅れだから当然最後尾のスタートだったが、周回毎に順位を上げて、24時間後に8番目でゴールした。
24時間、静かに走り続けるBRMローバーの快走が続く最後の頃には“サイレントゴースト”なるニックネームさえ生まれていた。
もう一つは68年のインディー500レース。ロータス56ガスタービンがトップを走り続けて、さあ栄光のゴールという寸前に惜しくもリタイア。原因はギアトラブルということだった。