級友坂田からの2015年のクリスマスカードが見つかった。大学で机を並べた仲の坂田仁は、裁判官になり、定年後は母校慶大法学部教授を務め、さらに常盤大学名誉教授、スウェーデン協会とやらで長年スウェーデンと仲良しだったようだ。
カードは、こんなに走ったぞ~っという自慢である。クルマは1995年購入の日産・サニーで、それから20年間乗り続けて、27万7777㎞をオドメーターが表示したのが嬉しくて、仲間に自慢しようとカードにしたものだが、まるで子供のような仕草である。
裁判官という人種は、頑固偏屈な人物が多い職業と心得るが、27万㎞も同じクルマに乗り続ける、やはり頑固偏屈としかいいようがない。私のように行き当たりばったり、ちゃらんぽらんな人間には向かない職業のようだ…もっとも私のIQではしょせん無理ではあるが。
サニーは1966(昭和41)年に誕生するや、トヨタのカローラと共に人気爆発、日本の大衆車市場を生み出した名車で、それまで一部裕福階級の自家用車だったクルマを、一般家庭に普及する切っ掛けとなった歴史上忘れることができないクルマでもある。
坂田のサニーは、1966年以来年々進化して、1993(平成5)年に8代目に衣替えしたフォードアセダンのスーパーサルーンである。ちなみに、8代目の報道試乗会は大磯プリンスホテルだったが、その時の写真を紹介しておく。この頃の日産は元気一杯で、サニーは日本だけではなく、メキシコ、フィリピン、マレーシアで生産され、アメリカではセントラの名で売られていた。
坂田がサニーを買った1995年は、昭和一桁生まれの私には日本建国からの皇紀2665年。太平洋戦争敗戦から50年目。阪神大震災、オウム真理教地下鉄サリン事件など大事件が連発した年だった。私ごとでは、パソコンのOSをSORDピップスから、登場したてのウィンドウズ95に変えた年でもある。
ちなみに、95年登場の新車は、トヨタ・クラウンコンフォートとグランビア、ダイハツ・ムーブ、いすゞ・ミュー ウイザード、ホンダ・CR-V/セイバー、マツダ・プロシード レバンテとボンゴフレンディー、三菱・パジェロジュニア。名前を聞いても思い出せない人もいるだろう昔のクルマになってしまった。
ちなみに、NHKの大河ドラマは「八代将軍吉宗」で、朝ドラの「春よ、来い」は、主演女優が途中降板で安田成美から中田喜子に代わった。
さて、坂田はマメなやつで、昭和31年法学部C組卒業だからと、法C会と名付けたクラス会を毎年企画し続けてくれた。当初20人以上だった級友も、年々減り、2016年には7名、そして18年に4名になり、法C会は解散した。そして19年の年賀状が届いたのを最後に鬼籍に入った。
(車屋 四六)
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。