昔自動車広告は絵だった-4

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今回もThe Star of Her Dreamsからの第四弾。
この1925年頃のポスターは、毎回の表題とは反するものだが、珍しいのであえて取り上げることにした…一見イラストには見えるが、実は写真なのが珍しい。

1925年大正14年のベンツ・観光バスのポスター:湖を背景に見える山々がバイエルンアルプスなのだろう。

車はベンツ3CN型と呼ぶ観光用車輛。資料ではバイエルンアルプス山を眺める観光用に開発されたとある。
不鮮明だが、数えてみると、前席は運転手+帽子を被ったガイド。後席は三人掛けのようで、七列に見えるから、乗っている観光客は21名ということになる。

またソリッドタイヤから空気入り=ニューマチックタイヤに変わったのが画期的進歩だと説明している。写真の車が何台造られたかは不明だが、恐らく貨物自動車やバス用のシャシーを流用し,ニューマチックタイヤで観光客のために乗り心地を改善したものと思われる。

次の1925年のポスターは、メルセデス/ダイムラーとベンツ、長年競い合ってきたライバル同士のエンブレムが並ぶ二枚看板が特徴である。

1925年、合併直前のポスター。やはり両社の紋章を並べているが、レーシングドライバーが居るから競争車だろうがV字型ラジェーターはダイムラーだが、上部両側にあるはずの星が略されているのはベンツへの心遣いなのだろうか。

第一話で紹介したように、このドイツの二大自動車メーカーは1926年に合併するのだが、合併計画は1924年頃から具体化して持ち株の交換などが始まったようだから、25年の頃になれば、合併後の将来を見据えた前触れ的広告だと思われる。

そして合併する1926年のポスターも、ダイムラー、ベンツ、両社の社名が連記されているが、これを含めて当時のポスターでは、何時もメルセデスを強調しているのは、合併がダイムラー優位ということではなく、これからはダイムラー+ベンツ=ダイムラーベンツの乗用車を、メルセデスという商号に統一するという目的で強調していたのだろう。

1926年/昭和元年、合併した年のポスター。毛皮を羽織った裕福階級の婦人達が乗るメルセデスベンツは、ラジェーターグリルが尖っているようだからダイムラー・メルセデスだろう。センターロックのワイヤーホール仕様だ。

いずれにしても、両社合併で、スリーポインテッドスターと月桂冠も合併し、月桂冠+ベンツの文字に囲まれたスリーポインテッドスターという、新たなエンブレムが誕生するのである。

そしてメルセデスベンツ630型と呼ばれるポスターの乗用車は、直6・6.3ℓ・24/100/140馬力で、重い車体を最高速度120㎞で走らせることができたのである。(24は課税馬力)

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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