昔自動車広告は絵だった-5

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毎回繰り返すが一回目で紹介したように、ダイムラーとベンツが合併後の1929年のポスター。The Star of Her Dreams=彼女の夢の星を、まさに地でいったのがこれだ。

高級車専門のDB最初の廉価版シュタットガルトの広告/1929年:優雅なご婦人の視線の先にはスリーポインテッドスターが。

椅子でくつろぐ婦人の視線の先に輝くのは、スリーポインテッドスター。ドレスから想像しても裕福なご婦人だが、ちょっと捻った広告の目的は、これまで高性能・高級が売りのダイムラーでは初めての中級車、シュタットガルト型の広告なのである。

両社合併後ダイムラーベンツ/DBには、役員としてカール・ベンツが残り、技術のトップはダイムラーからのフェルディナント・ポルシェが引き継ぎ、早速26年より開発を始めたのが、直六・2ℓ・8/38PS・最高速度80㎞のシュタットガルトだった。

シュタットガルトは好評で、25.000台を売り上げたが、まさか夢見るご婦人のムードに惹かれて売れたということではなかろう。
いずれにして、この辺りからの広告には、Wエンブレムはなくなり、現在の常識的な紋章に統一されている。

二つ目のポスターは、28年登場の直列八気筒・4.6ℓ・80馬力・ニュルブルグ。開発主任ポルシェはエンジンをOHVでと考えたらしいが、旧ベンツから来た技術陣の猛反対に遭い、SVで仕上げたと聞いている。

1928年/昭和3年のポスターは当時DBの高級車ニュルブルグ。

このニュルブルグは当時DBを代表する高級車で、ホイールベースが3670㎜もあり、ポスターはオープンモデルだが、クローズドリムジンの車重は2トン前後もあったという。

さて三枚目は、合併後のDBの面目躍如。真打ちとばかりに登場したSは、その後も続くSシリーズの始まり。
1926年に登場し、S→SS→SSK→SSKLと発展しながら造られたのが、僅か374台だから今では貴重なコレクターアイテムである。

1930年製作ポスターのSを冠したモデルの所有者は印度マハラジャ。これで虎狩りに行った話しが知られているが、長大な直列八気筒を収めた部分と乗用部分との比率は1:1ほど/またワイヤーホイールはセンタロックのようだ。

最初のSはWB3630㎜・直八OHV・6.2ℓ+スーパーチャージャーで24/110/160PS。世界の著名人が愛用したが、ポスターは印度のマハラジャが虎狩りに使用したもの。
ちなみにフルスロットルで110馬力に達し、さらに踏み込むと加給開始で160馬力に跳ね上がるという仕掛けになっていた。

このSシリーズ最上のグローサーメルセデス=ビッグメルセデスは国家元首の公式乗用車として1930年に登場するが、WB3750㎜・車重はオープンで約2トン、クローズドリムジンでは2.7トンもあったが、直列八気筒OHV・7660ccの出力は30/150/200PSで、この重いリムジンを時速160㎞にまで加速したという。

各国元首御用達と解説したように、日本皇室でも32年に4台、34年に3台を購入、60年代迄使用された。戦後{人間宣言}の天皇が全国を回られるために、2台が梁瀬自動車で後席オープンのランドレーに改装された。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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