昔、自動車のポスターやカタログは絵だった

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近頃の自動車広告やカタログは綺麗なカラー写真だが、20世紀前半は手書きの絵で、有名画家登場もしばしばだった。
ということで、手元に1996年にメルセデス・ベンツ日本から頂戴した本がある。Der Stern ihrer Sehnsucht(The Star of Her Dreams)より、1900年から60年間の美しいポスターで、ベンツ&ダイムラーの歴史をたどってみようと思う。

先ず本の表題は「憧れの車」とでも意訳すればいいのだろうか、嬉しそうに抱きかかえているのは、1910年代のダイムラーフェートンのようだ。もちろん車の名はメルセデスだ。

頂戴した綺麗な本の表紙は1910年代と思われるダイムラーに抱きつく夢見る女性。

 

再三紹介済みだが、ダイムラーとマイバッハのコンビは偉大な技術者であり発明家だが、どうやら商売は下手だったようだ。
が、オーストリーの富豪イエリネックが、自身の注文で造ったレーシングカーが気に入り、出資して大株主になり販売権を得て発売する時に、ダイムラーでは固すぎると長女メルセデスの名を冠したのがメルセデスの始まり(本拠オーストリアは妹マーヤ)。
米国自動車殿堂入りした片山豊が「スポーツカーにフェアレディなど女々しい」とDATSUN名に統一したのと同手法だ。

さてゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツが発動機を発明公表したのは、偶然1883年/明治16年。そしてダイムラーが二輪車を、ベンツが三輪車を完成したのも1885年と同じ年。いずれにしても、これが20世紀大発展をする自動車の元祖である。

が、ダイムラーは車の商業化より発動機の発展に興味があり、船に空にと、その答えを求めたのに対し、ベンツは初めから自動車開発が目標だったようで、特許を取り販売を始めた。

その宣伝が二枚目1888年のポスター。{新特許自動車}と大書して三輪乗用車のイラストが書かれている。世界初のガソリン乗用車は、水平単気筒4サイクル・984cc・0.89馬力だった。

ベンツが売りだした世界初の乗用車「新パテント自動車」1888年の広告。ベンツでも貴重な一枚とみえて破れを補修した跡が見える。私の経験で橙色三本の跡は古いセロテープ痕と思われる。

さて三枚目のポスターは、時代を一気にとんで1926年/昭和元年。ダイムラーとベンツが合併した年のもの。が、合併といっても資本比率はダイムラー6:ベンツ4だから、ダイムラーが吸収したと考える方が妥当だろう。

1926年の両社合併を示すポスター:旧ダイムラーと旧ベンツのエンブレム間に、地球を背景に月桂冠を掲げて立つ作業服の女性の左手にハンマーという図柄は、世界を目指して発展するメルセデスベンツを祝う労働の女神像なのだろうか。

で、合併すると新しいエンブレムが必要になる。幸いなことに両社共に丸形で、ダイムラーはMERCEDESリングの中に星。片やベンツは月桂冠リングの中心がBENZ。
で、新エンブレムは中心に星、リングが月桂樹の葉にBENZの文字が配された。これが今に続くメルセデスのエンブレムなのだ。
そして、ボンネットのラジェーターキャップ上にスリーポインテッドスターのマスコットという姿も今に続くのだ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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