ラスベガスのインペリアルホテル五階の自動車博物館は、一階が大きなカジノだから、オーナーの懐は潤沢なのだろう。コレクションは数百台と聞くが、オーナーの方針なのか、古いばかりでなく有名人の持ち物という附加価値が付いたものを好むようだ。
ヒトラーのベンツ、ケネディのリンカーン、フーバー大統領のハドソン、プレスリーのキャデラック、シャム王のドラージュ、ウイルソン大統領のピアースアローといった具合である。
さて、今回はヘンテコな三輪乗用車La Nef、1898年製のフランス車だが、車名はラ・ネフで良いのだろうか。資料には別名Lacroix et de Lavilleとも記されている。発動機はドディオン1896年製8馬力とあり、左側の幅広い革のベルトで後輪を駆動する。
発動機が前輪と前席の間に置かれているから、馬鹿に長いティラーで操縦するので小回りが不得意だったろう。写真を見るとヘッドランプはアセチレンガスのようだが、カーバイドの瓦斯発生器が見当たらないので、灯油を圧送しているのかもしれない。車幅灯はローソクのようだ。
写真には1902年メルセデス-ベンツとあるが、これは間違のようで、1900年発表のダイムラー35hpモトールワーゲン・メルセデスが正しいのではないかと思う。
となればマイバッハの作で、レースに活躍するレーシングカーだが、プラカードには直列四気筒40hp(4MT)とあり、進化した1902年型と考えれば辻褄があい、ヘッドランプが装備されているから街乗り仕様、いまでいうロードゴーイングレーサーなのだろう。
同じ姿で四座席のツーリングカー35馬力が1901年に発表されている。これが1902年になると40馬力になり、メルセデスーシンプレックスと名乗るようになる。
いずれにしてもポーランドのイエリネックがマイバッハと組み開発した傑作で、レースで活躍、イエリネックが愛娘メルセデスの名を冠して売り出し、成功する原動力になった車である。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。