古い写真から車名を知りたい…

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著名自動車評論家の米村太刀夫から、古い写真が届いた…車名を知りたいというのだ。写真の出所は、米村さんの高校の級友立川元彦からというが、登録が日本で274番目と云うからかなり古い。

米村さんから送られてきた写真:日本で登録274番目/ソリッドタイヤ?と木製車輪/アセチレンガスの前照灯/車幅灯は石油ランプ/手押しゴムラッパ警音器

が、こいつは難題だった。20世紀初頭の車というのは、四輪と発動機が付いたシャシーを買った王侯貴族金満家が、代々出入りの馬車屋にボディーを架装という手法だから、全て一品生産で、一台毎に姿が違うのだから、資料との照合で頼れるのは、エンブレムとラジェーターグリルの形のみ。ところが立川家の写真はどちらも不鮮明で頭を抱えたのである。

大量の資料と一枚ずつ突き合わせ、ようやく見つかったのがフランス製パナールだった。それは箱形だったが、フェンダーからステップまでの姿カーブまでがそっくりで、しめたとばかりに報告した。

が、一件落着ではなかった。立川さんは探求心が強い人のようで、その後も追及の手をゆるめなかったようで、ようやくトヨタ博物館から正解が出て、届いたのはフランス製リシャール・ブラジエ(1905年/明治38年~1930年/昭和5年)の製品で、私の答えが間違っていることが判った。

ブラジエはレースにも強く、ニューヨーク・ヘラルド紙のオーナー新聞王ベネット主催、1900年から始まったゴードンベネット杯の第四回/04年と第5回/05年で連続優勝していた。

1904年ゴードンベネット杯優勝のリシャール・ブラジエ:水冷直四・9969cc・80馬力・平均時速87.245km/h。前後タイヤ径が異なり駆動用後輪が小径で太く木製スポークの数も多い

さて次は車上の人物ということになるが、明治大正期に活躍した実業家で元彦さんの曾祖父立川勇次郎である。美濃大垣藩士の家に生まれ、東京で弁護士を開業中、電気鉄道申請に関わったのが縁で、興味を持ち自ら電気業界に足を踏みこんだ。

明治32年大師鉄道(京急)創業。明治42年養老鉄道(近鉄)。大正元年揖斐川電力、また東京白熱電球製造(東芝)や東京市街鉄道(都電)、東京電力などの創業、経営に参加、時には社長を務めるという、電機業界のエキスパート経営者だった。

ちなみに2019年/令和元年、京急は創業120周年、養老鉄道は創業100周年ということで、祝賀行事があったと聞いている。
で、記念として元彦さんの友人{りとう・ようい}という絵本作家の写真を元にした綺麗なイラストが完成した。当時、麻布高樹町にあった立川家の屋敷の玄関だそうだ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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