私のような職業では、ロールスロイス/RRは困った存在である。
手元に多くの資料はあるが、写真や絵があっても年式や仕様が判らないのだ。原因は、WWⅡ以前の高級車の多くが、シャシーだけを売り、買ったオーナーは、お気に入りのボディー架装屋と打合わせながら、自分だけの一台を作るのが習慣だからである。
架装屋は、イタリアではカロッツェリア、英語圏ではコーチワーカーと呼ぶが、ルーツのほとんどは馬車屋だから、戦前には各国に老舗名門が沢山存在していた。
我々物書きにとりそんな悪習慣?がなくなり喜んだのは戦後。高級車メーカーが1930年代に市場から消え、戦後復活した高級車メーカーも自社ボディーを架装するようになったからで、RRもご多分に洩れず、1949年にシルバードーンを発表した。
RRは、終戦後46年に生産再開していたが、戦前の豪華版ファンタムは戦勝国ではあるが市場ニーズに合わず、小型のシルバーレースでの再開だったが、相変わらずボディーは架装屋だった。
さて、自社ボディー量産型シルバードーン誕生には事情があった。英国は戦勝国ではあったが、莫大な戦費と爆撃で荒廃した国土復興で経済は疲弊状態だった。で、輸出産業を国策で優遇、好景気の米国でのドル稼ぎに専念した。その代表選手がスコッチウイスキーと洋服地と自動車だったのである。
が、米国市場はオーナードライブのセダンが主流で、運転手付高級車シルバーレイスでは不向きなので、従来の手作りから離れ、量産プロダクションモデル、シルバードーンを誕生させたのだ。
その発表は、1949年のカナダ・トロント世界博で、米国市場向けとあって左ハンドルだったが、少し落ちつくと、未だ世界中に点在した植民地などの左側通行国向け右ハンドルも造り始め、その一台がバンコクのRRだったのである。
RR愛好者は聞くと落胆するだろうが、このシルバードーン実はベントレイと共通でコストダウンが計られている。ベントレイのラジェーターグリルをパルテノン型に、マスコットのBをフライングエクスタシーに換えて、一丁上がりという寸法だ。
ちなみに諸元は、1949年~51年・全長4877x全幅1803x全高1651㎜・WB3048㎜・直六4257cc・四速MT/AT(51年~55年・4887ccになり全長が5067㎜に)・総生産台数760台。(エンジン出力を公表しないのはRRの伝統)
なお後期モデルのパワーアップは当時米国市場での馬力競争状況では必然だろうし、全長が伸びたのはトランク容量を増やす目的だった聞いている。バンコクのRRの年式は不明だが、見たところ手前開きのトランク部が大きく見えるので後期モデルと推測される。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。