長いこと日本で人気が高い外車と云えば、ベンツ、BMW、VW、だろう。が、今でこそ人気絶頂のBMWにも青息吐息の時代があったことを知っているだろうか。
撃墜王リヒトフォーフェンも好んだという戦闘機エンジンを造ったBMWだが、WWⅠ敗戦でオートバイ、次に四輪自動車メーカーへと転身するが、WWⅡ開戦で、再び軍用航空エンジンメーカーへと復帰する。
が、WWⅡも敗戦で4万人の従業員が900人に減った。その後二輪市場への復帰が1948年で、四輪市場への復帰で高級なV8セダンを開発したが、こいつが命取りになろうとは、誰も思わなかった。
考えれば、敗戦の疲弊復興に汗を流すドイツに高級車の需要があるはずもなく、赤字累積で倒産しかねない状況に陥った。が、運命の神はBMWを見捨てず救いの手を差し伸べたのである。
その再建の鍵は、なんと軽自動車。エンジン不調で不振のイタリアのイセッタを丸ごと傘下に収め、例の有名な二輪用298cc12馬力を搭載して発売した。VWビートルの価格3960マルクに対して2580マルクという安さで、一応の成功を収めた。
軽自動車で息を吹き返したBMWは、1959年にBMW700で四輪市場に復帰する。日本では初代ブルーバードが登場し、丸の内や日本橋に見慣れぬネギ坊主が道路脇に出現したのは、無料が当たり前の路上駐車禁止で登場したパーキングメータだった。
イセッタは前開きドアという異様な形式の二座席だが、後に600と呼ぶ四座席も登場する。それをベースに開発されたのが、BMW700クーペだったのだ。
RRという基本はそのままに、1700㎜だったホイールベースが2120㎜に伸ばされて、BMW初のモノコックボディーが斬新技術だった。
誕生した700は、687cc・30馬力で最高速度120㎞だが、62年の700LSで40馬力・136キロへと向上する。当時このクラスなら高性能でスポーティーだった。初期のポルシェ356ほどではなかったが、RR特有のオーバーステア傾向に悩まされた。
苦しみを味わったBMWは、イセッタと700で息を吹き返して、ようやく念願の常識的セダンで市場に復帰するのだが、それが現在の3シリーズの元祖とも云うべきBMW1500だった。
「BMWは見栄っ張りの車だよ」と云ったのは、1966年に訪ねたベルリンオペラの首席トロンボーン奏者、オースト・ヘルグートだった。「金がない奴はVW・金がないと思われたくない奴がBMW1500」が、当時のドイツ人の解釈だったようだ。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。