家族で行こう! きままにクルマ旅
京都府・舞鶴 もう一つの京都、海風を感じながら戦国と近代の史跡を訪ねる

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文・写真:編集部

「京都で観光」というと、まず思い浮かぶのがJR京都駅を中心に四方に点在する史跡や名勝めぐり。一方“京都”を京都府全体として眺めると南北に長く、北部は丹後半島と舞鶴湾、若狭湾で日本海に接する“海の京都”もある。その海辺に広がる町の中でも、舞鶴は明治後期に旧海軍の機関(舞鶴鎮守府)が置かれ、軍港として急速に発展を遂げた町。しかも、そうした施設の数々が、今もなお姿をとどめ独自の町の風景を作り出し、あたかもタイムスリップしたような気分にもなれる。そうした“もう一つの京都”を訪ねてみた。


目次

五老スカイタワー「近畿百景の第1位に選ばれた絶景」
郷邸(舞鶴地方総監部会議所)「初代長官・東郷平八郎が過ごした官邸」
舞鶴市立赤れんが博物館「赤れんがのまちを知るにはまずここから」
海軍ゆかりの港めぐり遊覧船「海から目線で旧海軍施設や自衛隊艦船を見学」
舞鶴赤れんがパーク「レトロとモダンが交差する観光交流施設」
舞鶴市田辺城資料館「田辺城と城下町の歴史を今に伝える」
ご当地グルメ:松榮館「洋食が特別だった頃のレシピを築116年の建物で食す」
旅グルマ紹介:SUBARU・レガシィツーリングワゴン「高速巡航を得意とするツアラー


“海の京都”舞鶴へのアクセスは、高速道路網が整備され容易になっている。名神高速方面からは北陸自動車道経由、敦賀ジャンクション~舞鶴若狭自動車道で、山陽自動車道方面からは中国自動車道経由、吉川ジャンクション~舞鶴若狭自動車道で、あるいは、京都市内方面からは京都縦貫自動車道~舞鶴若狭自動車道で舞鶴へとアクセスできる。舞鶴若狭自動車道の最寄りのインターチェンジは「舞鶴西」または「舞鶴東」だ。

五老スカイタワー
近畿百景の第1位に選ばれた絶景

縁結びや夫婦和合にご利益があるとも言われている筑波山

インターチェンジに「東」と「西」があるように舞鶴の町も東西に分かれており、冒頭紹介した海軍によって栄えた地域が東舞鶴。一方、西舞鶴は戦国時代の1582(天正10)年に築かれた田辺城を中心とする城下町として栄えた地域で、舞鶴市は東と西で歴史的な背景が異なる。東舞鶴と西舞鶴の中央に位置するのが、海抜300mの五老ヶ岳(ごろうがたけ)の山頂にある五老スカイタワーだ。

舞鶴市の市制50周年を記念して1995(平成7)年に建てられた五老スカイタワーは、地上50mの高さを持ち、地上から28.2mの位置に展望台がある。五老ヶ岳の頂上一帯は、五老ヶ岳自然公園となっており園内の散策路沿いにも絶景スポットが点在するが、やはりここを訪れたならば、360度のパノラマが楽しめる五老スカイタワーの展望台からの眺めがおすすめだ。

五老スカイタワー

五老スカイタワー

海抜約325mの展望台から眼下に広がるのは、いくつもの小さな入江が連なるリアス式海岸の美しさ。舞鶴の港(東港と西港がある)は若狭湾の最も奥に位置し、湾口が約700mと狭く、しかも港の周囲はそれぞれ400m級の山々に囲まれているため、年間を通じて風や波の影響が少ない天然の良港となっている。それを示すかのように、湾から港にかけての海面は鏡のように穏やかだ。

西港の沖合にはカキ養殖の生簀が浮かぶ等、周囲に漁師の町が点在するのもわかる。一方、東港は自衛隊の桟橋や旧海軍の施設を使った大型船舶の造船所、ガラス工場等を持つ工業の町の港であり、歴史の違いによる町並みの違いも展望台からも見て取れる。

4月~11月の土日祝日は午後9時まで開館しているので夜景も楽しめる他、元日には初日の出、さらに10月から12月頃の早朝には幻想的な「霧の雲海」も見られるという。残念ながら取材時は雲海の時期には早かったが、スカイタワー内に展示されていた写真を見ると、眼下に見えるはずの海岸線や町並みの景色がすっぽり濃い霧に覆われ、ただ見えるのは霧の上にぽっかりと顔を出した遠方の山々の頂きだけ…さながら2000m級の山に登ったような気分だ。なお、舞鶴周辺は冬場に雪が積もるというから初日の出、雲海を目当てに行くならクルマも冬用タイヤ、滑り止め等の準備も忘れずに。

GORO SKY CAFE nanako

GORO SKY CAFE nanako

さらに、五老スカイタワーにはGORO SKY CAFE nanakoも併設されており、近畿百景の第1位に選ばれた舞鶴湾の絶景を眺めながら、スイーツやカレー(数量限定)が楽しめる。五老スカイタワーのように“高さのある”パンケーキやハンバーガーがおすすめ。また、カレーは海上自衛隊舞鶴地方総監部の協力により、海上自衛隊の艦艇、施設、部隊のオリジナルレシピを元に、舞鶴市内10カ所の飲食店で提供される「海自カレー」の一つ。ここでは護衛艦「みょうこう」のビーフカレーが味わえる(平日15食/日、土日祝日30食/日)。

五老スカイタワー 【住】(管理事務所)京都府舞鶴市字上安237【時】〈4月~11月〉9:00~19:00/土日祝日は21:00まで〈12月~3月〉9:00~17:00 ※コロナウイルス感染症拡大防止のため開館時間の変更があるので下記URLから最新情報の確認を 【休】年中無休 【料】入館料=大人(高校生以上)200円/こども(小中学生)100円 【P】無料駐車場あり(85台) 【最新情報】http://goro-sky.jp/  【マップコード】174 761 286*24

東郷邸(舞鶴地方総監部会議所)
初代長官・東郷平八郎が過ごした官邸

1901(明治34)年10月1日に旧海軍舞鶴鎮守府が開庁し、鎮守府司令部近くに建てられた長官用官邸が“東郷邸”だ。向かって右側が洋風、左側が和風と和洋折衷という独特な外観を持つこの建物が、現在は月に1回市民に公開されている(当面はコロナウイルス感染症拡大防止のため公開中止)。和風の部分は、今となっては希少な明治期の日本家屋であり、書斎から眺める庭の景色は心安らぐもの。書斎に腰を下ろし歴代司令長官と同じ景色を眺め、指揮官のように思いを馳せることもできる。

鎮守府の初代司令長官が、かの東郷平八郎でここに2年間滞在。その後、第二次世界大戦終戦まで、18名の歴代長官がここに滞在したが“東郷邸”と呼ばれ現在は、海上自衛隊の舞鶴地方総監部会議所として活用されている。

当時のままの執務机
日本海海戦ゆかりの資料

当時のままの執務机 / 日本海海戦ゆかりの資料

応接間
東郷平八郎に関する資料

応接間 / 東郷平八郎に関する資料

日本家屋の部分、玄関(入口)の屋根上部の鬼瓦には錨が描かれており、海軍の施設であることを示している。洋間部分の応接間には、東郷平八郎の肖像画や写真、地元の方々から贈られた東郷平八郎や日露戦争に関する多くの資料が展示されている。“東郷ファン”には必見のものばかり。応接間の天井は高く、花をかたどった照明器具等が時代を感じさせる。また、応接間にある執務机は当時のものという。

窓ガラス越しだと箱の輪郭が歪んで見える
希少な明治期の日本家屋

窓ガラス越しだと赤い箱の輪郭が歪んで見える / 希少な明治期の日本家屋

長い廊下を持つ
廊下から眺める裏庭

長い廊下を持つ / 廊下から眺める裏庭

各部屋の窓にはめられるガラスも、補修した部分を除き明治期のものがそのまま残っている。現在のガラスと違い、当時のガラスは細かな気泡が見られたり、若干波打つようになっていたり、併せて窓越しの景色も若干歪んで見えたりする。当時と現在では板ガラスの製造方法が異なり、現在の技術でも復元できないという貴重なものだ。

現在も海上自衛隊の会議所として利用される和室(二間続き)を抜けると、歴代司令長官が愛用した四畳半の書斎がある。目の前には裏庭が広がり、東郷平八郎がその由来を聞き痛く感動し作らせたという“一心池”も見える。

会議所として使用される和室
歴代長官が思いを巡らせた書斎

会議所として使用される和室 / 歴代長官が思いを巡らせた書斎

心という字の形をした池に一文字の橋をかけたものが一心池で、中国の禅の思想にも関連し、極楽浄土や神仙郷(不老不死の仙人が住む理想的な場所)を遥かに遠く隔てた大海を意味する、という由来がある(諸説あり)。

錨の絵柄が入った鬼瓦

錨の絵柄が入った鬼瓦

初代長官を務めた東郷平八郎。左側の署名は自筆

東郷邸(舞鶴地方総監部会議所) 【住】京都府舞鶴市字余部下1200 【時】毎月第1日曜日(1月のみ第2日曜日)10:00~15:00 【休】12月29日~1月1日 【料】無料 ※コロナウイルス感染症拡大防止のため当面見学は中止。見学可能日は下記URLで確認のこと 【P】駐車場あり 【最新情報】https://www.mod.go.jp/msdf/maizuru/kengaku/kengaku.html 【マップコード】174 824 014*51

 


舞鶴市立赤れんが博物館
赤れんがのまちを知るにはまずここから

ここは世界で唯一のれんが専門の博物館で、世界42カ国から約1900点の資料を収集し、そのうちの約300点が展示されている。世界の古代文明(メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明等)や著名な建築物、日本の近代建築物等に使用された実物のれんがといった、古代から現代まで、世界各地のれんがを体系的に展示している。中には、ポーランドにあったアウシュヴィッツ強制収容所や広島の原爆ドーム、第二次大戦後日本人抑留者が建設に携わったタシケント(ウズベキスタン)のナヴォイ劇場等、歴史を証言するれんがも展示されている。

世界各地から集めたれんがを展示

世界各地から集めたれんがを展示

ちなみにこの博物館も赤れんがづくりで、かつては魚雷の倉庫だったものが転用されている。鉄骨+れんが造りとしては日本に現存する最も古いものの中に入るといわれている。天井の鉄鋼のフレームや、建設当時の窓ガラス、窓枠等も見ることができ建物の歴史的な部分も見逃せない。

また、館内には、れんがの“大量生産”を可能にした「ホフマン窯」が再現されている。ホフマン窯はドーナツ状をしており、窯の中を燃えてなくなる紙等でいくつかの部屋に仕切り、最初に一つの部屋でれんがを焼くとその余熱で仕切りが燃え、次の部屋のれんが焼かれ…順次焼かれていくというもの。日本には4基しか残っておらず、そのうちの1基が舞鶴市内に残り、国の登録有形文化財に指定されている。

再現されたホフマン窯の入口

再現されたホフマン窯の入口

この他、れんがの積み方の違いも紹介されている。れんがは直方体で長い辺(長手面)と短い辺(小口面)がある。日本で代表的な積み方がフランス積みとイギリス積みで、フランス積みは一つの段に長手面と小口面が交互に並ぶ積み方。イギリス積みは、長手面ばかりの段と小口面ばかりの段が交互になる積み方。イギリス積み方の方が簡単で手早く作業でき、強度が高いとされている。フランス積みは積み上がった時に美しく見えると、それぞれ特徴があるという。館内では積み木で体験できるようになっている。

魚雷の倉庫だった1号棟を模型で再現

魚雷の倉庫だった1号棟を模型で再現

この博物館を含め、舞鶴市内には赤れんがの建造物が多く残っており、国の重要文化財に指定されているものもある。旧海軍の倉庫への鉄道(引き込み線)のトンネル(北吸隧道)や、舞鶴線の橋脚(現在も使用中)、旧海軍が建設した水道施設等が市内各所に残っている。

れんがで作られた北吸隧道
路線後は遊歩道に。かつて駅だったところ

れんがで作られた北吸隧道 / 路線跡は遊歩道に。かつて駅だったところ

舞鶴市立赤れんが博物館 【住】京都府舞鶴市字浜2011 【時】9:00~17:00(入場は16:30まで) 【休】12月29日~1月1日 【料】一般400円/学生(小学生~大学生)150円 ※舞鶴市内在住、在学の学生は無料 【P】無料駐車場あり、赤れんがパーク駐車場(無料)から徒歩約10分 【マップコード】174 796 685*83

海軍ゆかりの港めぐり遊覧船
海から目線で旧海軍施設や自衛隊艦船を見学

舞鶴市を東西に走る国道27号線を西舞鶴から東舞鶴に向けてクルマで走ると、徐々に視界がひらけ、東舞鶴の港に近づきつつあることがわかる。やがて並行する金網越しに灰色の巨大な物体が…それは護衛艦(イージス艦あたご)だった。

舞鶴が海上自衛隊の駐屯地であることは知っていたが、あまりにも唐突な出会い、しかも、こんなに至近距離で艦船が見られるとは! しかも大きい。もっと近くで眺めたいという方には、海軍ゆかりの港めぐり遊覧船をおすすめしたい。

遊覧船で湾内を巡る

遊覧船で湾内を巡る

明治期に作られた海岸
日本板硝子舞鶴工場

明治期に作られた海岸 / 日本板硝子舞鶴工場

かにの味噌汁付き釜揚げしらす丼
かにの味噌汁付き江の島丼

ドックから出てきた多用途支援艦ひうちに遭遇 / 掃海艇あいしま

遊覧船での約30分の“航海”では、同乗のガイドさんが東舞鶴港の周囲にある自衛隊の施設やその役割、艦船の特徴や機能、現在は企業の施設となった旧海軍の施設等を丁寧に説明しれくれる。以下、海から見える舞鶴の一部を紹介しよう。

    • 海上自衛隊の掃海艇は、磁気機雷に反応することを防ぐため、船体に木材やプラスチックが多用されている。
    • 明治初期に作られた護岸が今も残っている。
    • 旧海軍の海兵団(新兵の教育を行う施設)の跡が、現在海上自衛隊の教育隊になっている。
    • 旧海軍第三火薬廠の跡地の一部が日本板硝子舞鶴工場になっている。(第一火薬廠は宮城、第二火薬廠は神奈川にあった)
    • 軍艦の造船所だった旧海軍工廠は、現在ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所になっている。
    • 海上自衛隊のミサイル艇(うみたか)は、高圧の水流を後方に噴射して推進し、時速80~100㎞で航行できる。
    • 現在、舞鶴に係留される海上自衛隊艦艇は15隻ほど。このうちイージス艦は2隻あり(あたご、みょうこう。全7隻)。あたごには対艦ミサイル、対潜ミサイル、1分間に3000発発射可能な機銃等を装備するとともに、400㎞四方のカバーするレーダーを備える。

海上から停泊中の海上自衛隊の大型艦船や大型貨物船に近づくと、見上げるようになり、まるで壁のよう。その大きさが実感できる。また、知っているようで意外と知らない海上自衛隊の部隊や装備等も知ることができた船旅だった。

ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所
水線が上がった貨物船。スクリューも見える

ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所 / 喫水線が上がった貨物船。スクリューも見える

ミサイル艇うみたか
護衛艦せとぎり

ミサイル艇うみたか / 護衛艦せとぎり

海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 【のりば】北吸赤れんが桟橋(赤れんが博物館横) 【時】出港時間=(3月20日から11月30日)土日祝日、ゴールデンウィーク、お盆は10:00~15:00まで1時間ごとに1便(計6便)。平日は月・木・金のみ11:00、13:00(1日2便、火・水は運休)/12月~1月は土日祝日のみ運行。11:00~13:00まで1時間ごとに1便(計3便) 【料】大人1300円/こども(3歳~12歳)700円/2歳以下無料【乗船券発売所】赤れんがパーク2号棟(市政記念館)。WEB予約もできる。http://www.maizuru-kanko.net/recommend/cruise/ 【P】赤れんがパーク駐車場(無料)を利用 【マップコード】174 796 682*02

舞鶴赤れんがパーク
レトロとモダンが交差する観光交流施設

縁結びや夫婦和合にご利益があるとも言われている筑波山

冒頭で紹介したとおり、東舞鶴は明治期に旧海軍鎮守府の開庁以降、佐世保、呉、横須賀とともに日本の4軍港の一つとして整備され、昭和初期にかけ官舎や倉庫等の海軍施設を中心に赤れんがの建造物が作られた。第二次世界大戦終了後75年が経過した今も、当時の建造物が多く残され日本有数の赤れんがのまちとして知られている。

現在、海上自衛隊の桟橋の周辺には、旧海軍の倉庫として作られた赤れんがの建造物が集中しており、全12棟が残っている(うち8棟が国の重要文化財に指定)。その一部の倉庫群が整備され2012(平成24)年に舞鶴赤れんがパークとしてリニューアルオープン。歴史遺産としてだけではなく、イベントスペースやアートスペースとして活用されている。

おみやげものコーナー
倉庫内の引き込み線を再現

おみやげものコーナー / 倉庫内の引き込み線を再現

舞鶴の古代からの歴史も紹介
アートや音楽のイベントスペースとして活用

舞鶴の古代からの歴史も紹介 / アートや音楽のイベントスペースとして活用

赤れんがパークには1号棟から5号棟まであり、先に紹介した「赤れんが博物館」が1号棟で、2号棟は「舞鶴市政記念館」、3号棟は「まいづる智恵蔵」、4号館が「赤れんが工房」、5号棟が「赤れんがイベントホール」となっている。

舞鶴市政記念館(2号棟)は、第二次世界大戦終戦までは砲銃庫として、戦後は市役所の第二庁舎として使用された。ここでは、絵画や写真等の展示や音楽の発表に利用できる、吹き抜けの空間を持つホールや飲食施設を備えている。

まいづる智恵蔵(3号棟)は、終戦までは砲弾や小銃の倉庫として、戦後は民間の倉庫会社が倉庫として使用していたもの。先人の智恵を継承し、智恵を育む場として開設された。舞鶴の海や京都エリアのみやげものが購入できる他、旧海軍ゆかりの展示も行われている。

赤れんが工房(4号棟)は、終戦までは砲銃庫として、戦後は民間会社の倉庫として使用されていた。扉や窓、瓦屋根などに当時の形式を再現しつつ、創作工房として子供向けの陶芸教室や音楽スタジオを備え、市民のものづくりの拠点として活用されている。また、結婚式や披露宴会場としても貸し出されている。

赤れんがイベントホール(5号棟)は、他の倉庫よりも新しく大正期に作られもので、終戦までは水雷庫として、戦後は民間会社の倉庫として使用されていたもの。赤れんが倉庫群の中で最も規模が大きく、自由なレイアウトが可能な多目的ホールとして使用されている。展示会や音楽イベント、舞鶴市の成人式の会場としても使用されるという。

堅牢な作りの5号棟
天井にはクレーンも設置

堅牢な作りの5号棟 / 天井にはクレーンも設置

各倉庫には鉄道の引き込み線があったそうで、一部には線路も残されており、鉄道輸送をイメージする展示もある(3号棟)。また、建設時期によっても倉庫の作り方が細部で異なっている。大正期に建てられた倉庫は、国営製鉄所の鋼材をふんだんに使用しより堅牢になった(明治期に建てられた倉庫の鋼材はアメリカからの輸入品)。

また、倉庫の窓も長方形だけではなく、上部を湾曲させたアーチ状の窓や円形の丸窓もあり、美しく見せる工夫も随所に見られる。湾曲部分に直方体のれんがを積むにも手間がかかることは容易に想像できる。

窓上部をアーチ状にデザイン
黒いのは釉薬が塗られた部分

窓上部をアーチ状にデザイン / 黒いのは釉薬が塗られた部分

赤れんが博物館の部分で紹介した“れんが積み”の違いも見られる他、赤いれんがなのに黒く塗られた部分もある。これは、海沿いゆえの塩害防止、降雪による湿気防止の為の釉薬(うわぐすり)が塗られたもの。夜間はライトアップされ昼間とは異なる表情も見られる。

舞鶴赤れんがパーク 【住】京都府舞鶴市字北吸1039-2 【時】9時~17時(5号棟は ~15:00。2号棟カフェ内は ~19:00。夜間利用がある場合は ~22:00) 【休】年末年始 【料】無料 【P】無料駐車場あり 【マップコード】174 796 527*10

 


舞鶴市田辺城資料館
田辺城と城下町の歴史を今に伝える

現在放映中の2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は戦国時代の智将、明智光秀の物語。その明智光秀の盟友といわれた細川藤孝(後の幽斎。演:眞島秀和さん)が築いた城が田辺城だ。今はその城跡が舞鶴公園となっており、復元された城門が「舞鶴市田辺城資料館」になっている。

田辺城資料館では、細川幽斎をはじめとする歴代城主(京極氏:1600年~、牧野氏:1668年~1873年)や、田辺城290年の歴史と城下の暮らしをパネルや模型で紹介している。

資料館の隣には、舞鶴出身の実業家・政治家であり篤志家の有本国蔵氏の寄付により、城の隅櫓を模して1942年に建設された文化財展示施設「彰古館」があり、現在は幽斎の生涯が紹介されている。

田辺城を広く世に知らしめ、後世まで語り継がれたのは、関ケ原の合戦の前哨戦ともいわれる「田辺城籠城」。石田三成の命を受けた西軍1万5000人の軍勢が城を包囲。城を守るのは細川幽斎とわずか500人の軍勢だった。籠城戦は52日間に及んだという。城が作られた場所は元々湿地帯で、川の流れを変えて作った広い濠が城を囲み敵軍を遠ざけていた。湿地ゆえ湧水も豊富で、籠城中は水に不自由しなかったという。

展示室の様子
城下町をジオラマで再現

展示室の様子 / 城下町をジオラマで再現

弾痕が残る甲冑。弾丸が貫通しないことの証
当時の火縄銃

弾痕が残る甲冑。弾丸が貫通しないことの証 / 当時の火縄銃

500人と共に城を守った細川幽斎は、大河ドラマでも描かれるように将軍家や公家と親密な関係にあった。戦国武将でありながら優れた文人で、和歌、連歌、茶道、書道等々多彩な才能を発揮。中でも、公家の三条西実枝(さんじょうにしさねき)から伝授された、古今和歌集の秘事口伝の伝承者(古今伝授)でもあった。

幽斎の生涯がわかる
彰古館入口

幽斎の生涯がわかる / 彰古館入口

展示の様子

展示の様子

ここで幽斎が死んでしまえば口伝が途絶えてしまう。それを憂慮した後陽成天皇から、勅命が両軍に届けられ籠城戦に幕が下りた。天皇まで動いた和平交渉の中で、幽斎は一首の和歌と古今伝授の秘伝書を朝廷からの使者に託したという。それが二の丸にあった松の木の下で、後に城主となった牧野氏が心種園として庭を整えた。

この松の下で秘伝書を託した

この松の下で秘伝書を託した

籠城戦終了から2日後に関ケ原の合戦が始まり、ここにいた西軍1万5000人の軍勢は合戦に参加できず、徳川家康からは功績として褒められたという。

一方、城下町は江戸時代から北前船の寄港地として発展を遂げた。日本海沿岸の港から多くの産物が陸揚げされ、港に近い高野川周辺には商人が集まり、商品を保管する倉庫がいくつもあり今もその姿を残している。

市民の憩いの場、舞鶴公園
天守閣はないが石垣は当時のもの

市民の憩いの場、舞鶴公園 / 天守閣はないが石垣は当時のもの

城下町は落ち着いた佇まい。吉原入江

舞鶴市田辺城資料館 【住】京都府舞鶴市字南田辺15-22 【時】9:00~17:00 【休】毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日) 【料】一般200円/学生(小学生~大学生)100円 【P】市営南田辺駐車場を利用(71台) 【マップコード】174 699 148*48

《舞鶴メモ》
金曜日はカレーの日……あっ、うちも金曜日の夕食はカレーです、という方も少なくないが、その始まりは海軍かもしれない。艦船で長い航海出ると、規則正しい艦内生活といえども曜日の感覚が鈍りがち。そのため、艦内の食事は金曜日にカレーを出したといわれている(諸説あり)。その伝統を引き継ぎ(?)、現在海上自衛隊の金曜日の昼食はカレーになっている他、舞鶴市内の小学校の給食も、金曜日はカレーに関連するメニューだったという。

碁盤の目のような市街地……京都、札幌、名古屋…これらの都市に共通する点は? 答えは、市街路がタテ×ヨコに規則正しく並び、碁盤の目のようになっていること。舞鶴も海軍によって作られた東舞鶴の市街地は碁盤の目のようになっている。舞鶴らしいともいえるのが通りの名称だ。南北方向(縦)に走る道は西から東へ、一条通り、二条通り、三条通り…九条通りと数字の1から9だが、東西方向(横)に走る道は北側から南側へ、富士通り、八島通り、敷島通り、朝日通り、初瀬通り、三笠通り…という。この東西方向の道の名称の関連性に気づいた方は、かなりの軍事通かもしれない。いずれも明治期の旧海軍一等艦船の名称だ。縦の道と横の道で座標のように交差点を呼ぶのは他の都市と同じだが、舞鶴の場合は“四条富士通り”となりまさに海軍のまちらしい。

ご当地グルメ『松榮館』
洋食が特別だった頃のレシピを築116年の建物で食す

縁結びや夫婦和合にご利益があるとも言われている筑波山

2020年で築116年という旅館の別館だった建物で、旧海軍の料理の教科書(海軍割烹術参考書)のレシビを再現した海軍のカレーライス(前述の海自カレーとは異なる)やビーフシチュー、舞鶴が発祥の地といわれる肉じゃが(教科書には甘煮と記載)等が食べられる。明治期の建物で、明治期のレシピに則った料理を。まさに明治期にタイムスリップしかかのようだ。

海軍割烹術参考書を元に、専門家の監修を得て現在に再現された“海軍カレー”は、カレー粉を用いず8種類のスパイスをブレンドして作られるため、まずその香り良さに驚かされる。当時は“男所帯”だった艦内で調理されるため、野菜類はごつごつとした大きめのカット。中辛よりも甘口に近い優しい辛さだ。ご飯は麦飯(白米7:麦3)で、一緒に添えられるコップ1杯の牛乳は、ともに脚気予防を兼ねている。

海軍カレー。一杯の牛乳も再現
スパイスの香りの高さとゴロゴロ野菜が特徴

海軍カレー。一杯の牛乳も再現 / スパイスの香りの高さとゴロゴロ野菜が特徴

*:脚気(かっけ)は、ビタミンB1の欠乏により起こる病気で、手足のしびれやむくみ、やがて心臓衰弱を引き起こす。かつて日本では国民病とされた。明治期の海軍では病死数で最大の原因だった。

“ビーフシチュー”は、明治期の牛肉の食感(歯ごたえ)に近づけるため、牛肉は産地にこだわった。現在の牛肉はさし(脂)が入り柔らかく、明治らしく(?)ない。日本中を探し巡り会えたのが沖縄県・石垣島の石垣牛だった。さしのすくない赤身の肉なので、本来の肉の味も味わえる。

9時間かけて煮込まれるビーフシチュー

9時間かけて煮込まれるビーフシチュー

シチューはバラ肉の部位を計9時間かけて煮込むので、テーブルに運ばれてきた時はナイフ・フォークを必要としないほど柔らかい。デミグラスソースは、約1週間かけていちから作り上げたもの。時間を惜しまず、手間をかけたシチューは濃厚かつとても奥深い味だ。

“肉じゃが”は、東郷平八郎がイギリスに留学した際に食べたビーフシチューの味が忘れられず、帰国後に部下に命じて作らせたもの。ところが、当時はシチューの材料となるデミグラスソースやワイン等の入手が難しく、日本独自のみりんで味付けして作った。その料理が現在でいう“肉じゃが”という。最初に牛肉をごま油で炒めるため、芳しいごま油の香りが特徴的だ。海軍割烹術参考書では“甘煮”として掲載されているが、戦後肉じゃがとなり家庭料理として普及したといわれている。

 芳しいごま油の香りをお届けできないのが残念

芳しいごま油の香りをお届けできないのが残念

1904(明治37)年の開業当時、この旅館には旧海軍舞鶴鎮守府の関係者の利用が多く、舞鶴鎮守府の初代長官を務めた東郷平八郎が逗留した部屋が2階に残っている。この部屋を含め、2階にある5間は個室として利用することもできる(要予約)。中には“東郷さんの部屋で”と指名する人も少なくないとか。

1階のテーブル席
かにの味噌汁付き江の島丼

1階のテーブル席 / 鳳凰が描かれた欄間

2階にある個室
東郷平八郎が逗留した部屋

2階にある個室 / 東郷平八郎が逗留した部屋

個室は2名~15名の利用で、メニューはコース料理のみ。2階の各間には東郷平八郎ゆかりの掛け軸が飾られているほか、欄間(らんま。天井と鴨居の間の開口部)の丁寧な装飾や、一本でない床柱など明治時代の建築の特徴も見られる。店内の混雑状況にもよるが、希望者には2階の見学にも対応してくれる。

「本日天気晴朗にして波高し」数ある掛け軸の一つは、秋山真之の日本海海戦出撃の報告電文

松榮館 【住】京都府舞鶴市字浜18 【時】(ランチ)11:30~14:30(ディナー)17:30~21:30 ※現在、コロナ感染症拡大防止の為、17:30~20:00の営業〈営業時間等問い合わせ(日中)0773-65-5000(夕方)0773-65-5007〉 【休】年中無休 【P】無料駐車場あり(50台) 【マップコード】174 797 674*44

旅グルマ紹介
「SUBARU・レガシィツーリングワゴン(3代目BH型)」高速巡航を得意とするツアラー

今回の旅グルマは、1998年にデビューした3代目のSUBARU(スバル)・レガシィツーリングワゴンの、2.5リッターNAエンジンを搭載する中間グレード「250S」。2.0リッターエンジンに2ステージツインターボを搭載する「GT-B」に比べると加速性能などは緩やかだが、高い直進安定性を持ち、高速巡行や追い越し時などでも頼もしい走りを見せてくれる。全幅が1695㎜と5ナンバーサイズでありながら荷室には大きなゆとりがあり、ゴルフバックやスーツケースも楽に収納できるパッケージングは、まさに秀逸の一言だ。

SUBARU・レガシィツーリングワゴン(3代目BH型) 【パワートレーン】水平対向4気筒2457㏄+4速AT 【最高出力】170PS/6000rpm 【最大トルク】238Nm/2800rpm 【10・15モード燃費】11.8km/L 【ボディサイズ】全長4680㎜×全幅1695㎜×全高1485㎜ 
今回の立ち寄りスポットマップ

1=五老スカイタワー 2=東郷邸 3=赤レンガ博物館 4=海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 5=赤レンガパーク 6=舞鶴田辺城資料館 7=松栄館


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