家族で行こう! きままにクルマ旅(2020年10月)
京都府・舞鶴 もう一つの京都、海風を感じながら戦国と近代の史跡を訪ねる

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文・写真:編集部

「京都で観光」というと、まず思い浮かぶのがJR京都駅を中心に四方に点在する史跡や名勝めぐり。一方“京都”を京都府全体として眺めると南北に長く、北部は丹後半島と舞鶴湾、若狭湾で日本海に接する“海の京都”もある。その海辺に広がる町の中でも、舞鶴は明治後期に旧海軍の機関(舞鶴鎮守府)が置かれ、軍港として急速に発展を遂げた町。しかも、そうした施設の数々が、今もなお姿をとどめ独自の町の風景を作り出し、あたかもタイムスリップしたような気分にもなれる。そうした“もう一つの京都”を訪ねてみた。


目次

五老スカイタワー「近畿百景の第1位に選ばれた絶景」
・東郷邸(舞鶴地方総監部会議所)「初代長官・東郷平八郎が過ごした官邸」
・舞鶴市立赤れんが博物館「赤れんがのまちを知るにはまずここから」
・海軍ゆかりの港めぐり遊覧船「海から目線で旧海軍施設や自衛隊艦船を見学」
・舞鶴赤れんがパーク「レトロとモダンが交差する観光交流施設」
・舞鶴市田辺城資料館「田辺城と城下町の歴史を今に伝える」
・ご当地グルメ:松榮館「洋食が特別だった頃のレシピを築116年の建物で食す」
・旅グルマ紹介:SUBARU・レガシィツーリングワゴン「高速巡航を得意とするツアラー」


“海の京都”舞鶴へのアクセスは、高速道路網が整備され容易になっている。名神高速方面からは北陸自動車道経由、敦賀ジャンクション~舞鶴若狭自動車道で、山陽自動車道方面からは中国自動車道経由、吉川ジャンクション~舞鶴若狭自動車道で、あるいは、京都市内方面からは京都縦貫自動車道~舞鶴若狭自動車道で舞鶴へとアクセスできる。舞鶴若狭自動車道の最寄りのインターチェンジは「舞鶴西」または「舞鶴東」だ。

五老スカイタワー
近畿百景の第1位に選ばれた絶景

縁結びや夫婦和合にご利益があるとも言われている筑波山

インターチェンジに「東」と「西」があるように舞鶴の町も東西に分かれており、冒頭紹介した海軍によって栄えた地域が東舞鶴。一方、西舞鶴は戦国時代の1582(天正10)年に築かれた田辺城を中心とする城下町として栄えた地域で、舞鶴市は東と西で歴史的な背景が異なる。東舞鶴と西舞鶴の中央に位置するのが、海抜300mの五老ヶ岳(ごろうがたけ)の山頂にある五老スカイタワーだ。

舞鶴市の市制50周年を記念して1995(平成7)年に建てられた五老スカイタワーは、地上50mの高さを持ち、地上から28.2mの位置に展望台がある。五老ヶ岳の頂上一帯は、五老ヶ岳自然公園となっており園内の散策路沿いにも絶景スポットが点在するが、やはりここを訪れたならば、360度のパノラマが楽しめる五老スカイタワーの展望台からの眺めがおすすめだ。

五老スカイタワー

五老スカイタワー

海抜約325mの展望台から眼下に広がるのは、いくつもの小さな入江が連なるリアス式海岸の美しさ。舞鶴の港(東港と西港がある)は若狭湾の最も奥に位置し、湾口が約700mと狭く、しかも港の周囲はそれぞれ400m級の山々に囲まれているため、年間を通じて風や波の影響が少ない天然の良港となっている。それを示すかのように、湾から港にかけての海面は鏡のように穏やかだ。

西港の沖合にはカキ養殖の生簀が浮かぶ等、周囲に漁師の町が点在するのもわかる。一方、東港は自衛隊の桟橋や旧海軍の施設を使った大型船舶の造船所、ガラス工場等を持つ工業の町の港であり、歴史の違いによる町並みの違いも展望台からも見て取れる。

4月~11月の土日祝日は午後9時まで開館しているので夜景も楽しめる他、元日には初日の出、さらに10月から12月頃の早朝には幻想的な「霧の雲海」も見られるという。残念ながら取材時は雲海の時期には早かったが、スカイタワー内に展示されていた写真を見ると、眼下に見えるはずの海岸線や町並みの景色がすっぽり濃い霧に覆われ、ただ見えるのは霧の上にぽっかりと顔を出した遠方の山々の頂きだけ…さながら2000m級の山に登ったような気分だ。なお、舞鶴周辺は冬場に雪が積もるというから初日の出、雲海を目当てに行くならクルマも冬用タイヤ、滑り止め等の準備も忘れずに。

GORO SKY CAFE nanako

GORO SKY CAFE nanako

さらに、五老スカイタワーにはGORO SKY CAFE nanakoも併設されており、近畿百景の第1位に選ばれた舞鶴湾の絶景を眺めながら、スイーツやカレー(数量限定)が楽しめる。五老スカイタワーのように“高さのある”パンケーキやハンバーガーがおすすめ。また、カレーは海上自衛隊舞鶴地方総監部の協力により、海上自衛隊の艦艇、施設、部隊のオリジナルレシピを元に、舞鶴市内10カ所の飲食店で提供される「海自カレー」の一つ。ここでは護衛艦「みょうこう」のビーフカレーが味わえる(平日15食/日、土日祝日30食/日)。

五老スカイタワー 【住】(管理事務所)京都府舞鶴市字上安237【時】〈4月~11月〉9:00~19:00/土日祝日は21:00まで〈12月~3月〉9:00~17:00 ※コロナウイルス感染症拡大防止のため開館時間の変更があるので下記URLから最新情報の確認を 【休】年中無休 【料】入館料=大人(高校生以上)200円/こども(小中学生)100円 【P】無料駐車場あり(85台) 【最新情報】http://goro-sky.jp/  【マップコード】174 761 286*24

東郷邸(舞鶴地方総監部会議所)
初代長官・東郷平八郎が過ごした官邸

1901(明治34)年10月1日に旧海軍舞鶴鎮守府が開庁し、鎮守府司令部近くに建てられた長官用官邸が“東郷邸”だ。向かって右側が洋風、左側が和風と和洋折衷という独特な外観を持つこの建物が、現在は月に1回市民に公開されている(当面はコロナウイルス感染症拡大防止のため公開中止)。和風の部分は、今となっては希少な明治期の日本家屋であり、書斎から眺める庭の景色は心安らぐもの。書斎に腰を下ろし歴代司令長官と同じ景色を眺め、指揮官のように思いを馳せることもできる。

鎮守府の初代司令長官が、かの東郷平八郎でここに2年間滞在。その後、第二次世界大戦終戦まで、18名の歴代長官がここに滞在したが“東郷邸”と呼ばれ現在は、海上自衛隊の舞鶴地方総監部会議所として活用されている。

当時のままの執務机
日本海海戦ゆかりの資料

当時のままの執務机 / 日本海海戦ゆかりの資料

応接間
東郷平八郎に関する資料

応接間 / 東郷平八郎に関する資料

日本家屋の部分、玄関(入口)の屋根上部の鬼瓦には錨が描かれており、海軍の施設であることを示している。洋間部分の応接間には、東郷平八郎の肖像画や写真、地元の方々から贈られた東郷平八郎や日露戦争に関する多くの資料が展示されている。“東郷ファン”には必見のものばかり。応接間の天井は高く、花をかたどった照明器具等が時代を感じさせる。また、応接間にある執務机は当時のものという。

窓ガラス越しだと箱の輪郭が歪んで見える
希少な明治期の日本家屋

窓ガラス越しだと赤い箱の輪郭が歪んで見える / 希少な明治期の日本家屋

長い廊下を持つ
廊下から眺める裏庭

長い廊下を持つ / 廊下から眺める裏庭

各部屋の窓にはめられるガラスも、補修した部分を除き明治期のものがそのまま残っている。現在のガラスと違い、当時のガラスは細かな気泡が見られたり、若干波打つようになっていたり、併せて窓越しの景色も若干歪んで見えたりする。当時と現在では板ガラスの製造方法が異なり、現在の技術でも復元できないという貴重なものだ。

現在も海上自衛隊の会議所として利用される和室(二間続き)を抜けると、歴代司令長官が愛用した四畳半の書斎がある。目の前には裏庭が広がり、東郷平八郎がその由来を聞き痛く感動し作らせたという“一心池”も見える。

会議所として使用される和室
歴代長官が思いを巡らせた書斎

会議所として使用される和室 / 歴代長官が思いを巡らせた書斎

心という字の形をした池に一文字の橋をかけたものが一心池で、中国の禅の思想にも関連し、極楽浄土や神仙郷(不老不死の仙人が住む理想的な場所)を遥かに遠く隔てた大海を意味する、という由来がある(諸説あり)。

錨の絵柄が入った鬼瓦

錨の絵柄が入った鬼瓦

初代長官を務めた東郷平八郎。左側の署名は自筆

東郷邸(舞鶴地方総監部会議所) 【住】京都府舞鶴市字余部下1200 【時】毎月第1日曜日(1月のみ第2日曜日)10:00~15:00 【休】12月29日~1月1日 【料】無料 ※コロナウイルス感染症拡大防止のため当面見学は中止。見学可能日は下記URLで確認のこと 【P】駐車場あり 【最新情報】https://www.mod.go.jp/msdf/maizuru/kengaku/kengaku.html 【マップコード】174 824 014*51
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