リヒトホーフェンvsフォンクvs滋野男爵

コラム・特集 車屋四六

WWⅠで飛行機は、特に戦闘機は日進月歩の高性能化。
その戦闘機乗りのエース、NO1は80機撃墜の独リヒト・ホーフェン男爵…レッドバロンで知られるフォッカーDR-Ⅰは1917年だからBMW製ではなく、例のシリンダーが回転するルローンかオーベルウルゼル110馬力で最高速度は185㎞だったろう。

撃墜王二番目は、75機の仏フォンク大尉。愛機はニューポール17型・ルローン110馬力・175㎞とスパッドWⅡ/イスパノスイザ180馬力・最高速度192㎞。

フォンク大尉や滋野男爵愛用の仏スパッドSXⅢ:胴体に鸛のマーク/シャンゼリゼで雨中ビニール越し不鮮明御容赦:全幅8.25mx全長6.5m・重量566kg・イスパノスイザ水冷V8・220馬力・最高速度218㎞・上昇限度6650m・機関銃ヴィッカース7.7mx2/日本陸軍が約100機輸入(丙式戦闘機)。

フォンクはコウノトリ飛行団隊長(WWⅡ末期日本軍エースと紫電改で組織した松山空のようなもの)、その団員には英伊加米など各国エースの中に、異色はパリ娘に人気の日本人バロンシゲノ…本名滋野浩武男爵もいた。

三番は、SE5a/イスパノスイザ200馬力・194㎞の英マノック少佐73機。ちなみにリヒトフォーフェン撃墜の英ブラウン大尉の愛機はソッピースキャメル/クラーゲット130馬力・185㎞だった。

RAF-SE5a/英シャトルワース博物館:全幅8mx全長6m・空重量726kg・発動機イスパノV8・200馬力・最高速度220㎞・機銃-胴体ヴィッカース×1&翼上に敵機を下から撃つルイス斜銃×1。

WWⅠ中航空発動機は、初期の 80~100馬力から急速に進歩。仏イスパノスイザはV8・200馬力に。ドイツはREから水冷直六全盛になりダイムラー、マイバッハ、BMWなどが180~200馬力に。英軍も同様だが、ロールスロイスは早くもV12・250~350馬力を量産化していた。

ロールスは頑固に水冷に徹したが、ブリストルは空冷と対比的…戦後の傑作ジュピター400馬力は、仏ソで、また日本では中島飛行機がライセンス生産している。

一方、イスパノスイザV8は米ライトや英ウーズレイ、日本では三菱が量産し、後年のV12・450~600馬力は海軍機にかなり採用された。またダイムラーベンツやBMWの450馬力級は川崎で国産化され、その発展型1100馬力はWWⅡ中の飛燕などに使われた。

WWⅠ以後、米国ではライトやプラット&ホイットニー/PWが力を付け、中島で国産化されている。そのPWをベースに発展した栄950馬力はゼロ戦に、誉2000馬力は疾風や紫電改で活躍した。
この誉は、プリンス自動車を創業、合併後日産取締役になる中川良一の傑作として世界に知られている。

WWⅠが始まった頃に100馬力前後だった航空発動機は、WWⅠ→WWⅡ、二度の大戦で鍛えられて、髙出力になり、PWのワスプメージャーなどは何と3500馬力にもなるのである。

わずか30年ほどで35倍にも進化するのだから、年々100馬力ずつ伸びたことになる。ちなみに、ワスプメージャーは空冷四重星形28気筒・気筒容積は何と71.4ℓである。

ちなみに、WWⅠ途中から、機関銃の弾が高速で廻るプロペラの間を通るようになるが、その初採用は、独フォッカー…どうやらドイツ人というのは兵器造りの天才集団のようである。

WWⅠ中優秀戦闘機・リヒトフォーフェンの愛機フォッカーDrⅦ/1917/ブルージェ航空博物館:全幅7020x全長6950㎜空重量700kg・BMW185馬力・最高速度196km/h・上昇率5000m迄30分・上昇限度6000m・機関銃シュパンダウ7.82㎜x2。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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