【車屋四六】水中眼鏡か金魚鉢

コラム・特集 車屋四六

軽自動車という言葉は日本専用で軽の規格内にある車を限定するが、規格がない外国の車もこの種の車なら軽自動車と呼ぶことにするがお許しいただきたい。

WWII以前から世界中に軽自動車があるが、特に増えたのがWWII以後だ。敗戦国は当然だが、国土が戦場にならなかったアメリカを除いて、戦勝国も経済復興優先の中で手軽に作れ、乗る方もただ走ればいいという環境で雨後の筍のように登場したのである。

が、戦前既に自動車が生活に溶け込んでいた欧州、イギリス、イタリー、フランス、ドイツなど、復興が進むに連れて生活が落ちつくと、本格的自動車生産を再開、当然のようにヨーロッパの軽自動車は消えていった。

しかし、戦前の生活にマイカーというものを知らない日本では、少々様子が違ってくる。日本の軽自動車は、昭和40年頃=1965年頃までは貧弱で貧乏丸出し、溜息混じりでアイドルする360㏄に、いくら鞭を入れても高々15馬力ほどが精一杯だった。

だが、上等な車を知らない身にとっては「持てれば幸せ」「走れば幸せ」で騒音振動など気にしない、というよりは無意識のうちに我慢忍耐を身につけてしまっていた。「遅い」「加速が悪い」などは、ずっと後になってからの問題だった。

64年のこと、スバル360が16馬力から20馬力なって、100㎞出るようになったからロードインプレッションをと、モーターマガジン誌から依頼があった。

当時日本中、最高速度制限が60㎞の頃だから公道で走るわけにはいかず、富士重工が手配してくれたのが茨城県谷田部の高速試験場。こいつは正に諺の”牛刀”=”鶏を殺すのに牛刀を”を地で行ったものでだった。

時速200㎞ほどなら手放しで車が曲がっていくバンクを持つ高速試験場は、小判型で全長6km。そんなところを時速100㎞で走るもどかしさ。イライラしながら走る一周の長いこと。が、これも商売と諦め一生懸命走った。

が、アクセルを床まで踏みっぱなしで走り続けても、お題目通りの時速100㎞には届かない。どうやっても速度計の針は96㎞を指したまま。気が付けばそれは追い風の時で、反対側の向かい風直線にはいると90㎞に落ちてしまうのである。

スバル360といえば、日本を代表する軽自動車。長年軽自動車市場に君臨する車でも、そんな情けない性能だった。そんな我慢と忍耐から開放してくれたのが本田宗一郎である。

その頃オートバイでは世界レベルに達したホンダは、さらに上へと脱皮を試みていた。身につけた高回転、高馬力の技術を生かし、驚異的な8500回転で30馬力という強心臓を開発、それを搭載したホンダN360を67年に売り出したのだ。

長い間軽自動車市場を牽引してきたスバル360の時代に終始を売ったのがホンダN360。軽枠寸法内に大人四人の空間・時速100km/h越え・加速感良好・エポックメイク的性能だった

FWDと四隅一杯に使った箱に実用上不便なく大人四人が座れ、ライバルに差を付ける加速力、高い巡航速度で、たちまち軽自動車市場の王座をスバルから奪ってしまった。

70年、調子にのるホンダの第二弾は、N360をベースに開発した業界初のスポーティー軽自動車ホンダZだった。(写真トップ:市場を独走する人気者ホンダN360をベースに社長や重役の反対を押し切って若い技術者達が開発したのがホンダZ。経営陣の心配をよそに人気者に)

N360が与えた刺激で、日本の軽自動車は出力向上、室内空間拡大を果たし、サイズは小粒ながら実用上不満のない軽に成長したが、Zの刺激も大したもので、その後スズキ・フロンテクーペ、三菱ミニカスキッパー、ダイハツ・フェローマックスなど、スポーティーな軽自動車が後を追う。

軽自動車だから全長が3mしかないのに、Zの姿はロングノーズ、大きく傾斜したフロントグラス、それに連なるルーフが構成する流麗なシルエットは、よくぞ軽に取り込んだものと感心した。

そして極めつけが後ろ姿。ワンピースのガラス製ハッチゲートは、黒くて太い枠のトリムが、強烈な個性とユーモラスな姿をリアビューに与えていた。

“水中眼鏡”なるニックネームがすぐに生まれ、また”金魚鉢”と呼ぶ人も居た。

ホンダの従業員の平均年齢は他社より若いのが伝統だが、Zの開発には特に若いのが集まったと聞く。どの会社でも、企画がまとまりクレイモデルが出来ると偉い人達が集まって批判、GOかSTOPの判定がお定まりのコースである。

少々のことでは物に動じないホンダのオ偉いさんたちも、Zの姿には常識はずれを感じたようで渋い顔。特に渋かったのが本田社長だったそうだ。が、若者の熱意にほだされて、ゴーサインが出たのがラッキーだった。

やがて重役連が渋るZが世に出ると、予想外な人気者になった。が、ホンダの元気はこの辺りがピークで、軽自動車市場が低迷すると、人気者Zはライフと共に消えていったのである。

N360の刺激で各社の高性能化が進むと次なるホンダの挑戦は更なる居住性向上と乗り心地向上・で生まれたのがライフだった。実用一点張りの軽に快適さを求めた作品