19世紀末に誕生したガソリン内燃機関は、陸海空それぞれの分野で発達をした。が、若き日の本田宗一郎がカーチス飛行機の発動機で競争自動車を作るというように無関係でもない。
またWWⅡ後、群馬の大西勇一がスバル水平対向発動機搭載の自作飛行機スバルプレーンで茅ヶ崎から大島往復飛行に成功…時代は違うがブレリオ機のドーバー海峡横断の現代版といえよう。
WWⅡ以後ではあるが、VWの水平対向四気筒は欧米の自作機御用達で、その中の何機かが日本に輸入されたこともある。
さて飛行機専用として開発された発動機用の世界初は米国のマンリーだが、世界初飛行のライト機は自動車用水冷四気筒12馬力を改造水平に搭載…その後パリでデモ飛行をする頃には3941cc・常用30馬力/1200回転(最大39馬力/1600回転)1908年。
航空発動機第一号マンリーは、水平対向星形5気筒・52馬力だから、ライトの発動機より高性能だったので、もしライトに提供していれば後世に名を残したことだろうが、ライトより早く飛びそうなラングレーと組んだのが、失敗だった。
ポトマック河に浮かぶハウスボートの屋根のカタパルトから発進という面白い発想のラングレー機は、ライトより2ヶ月早く飛行するはずだったが、川に突っ込み失敗に終わった。
このラングレー機は、1914年にカーチスが修理組み立て後にフロートを付けて飛行に成功しているので、機体に欠陥はなかったのだから、運がなかったとしか云いようがないが、成功していれば、世界初空母発進ということになる。
さて、ダイムラーがガソリン発動機を発明の後、10年ほど後には航空発動機の主流はフランスで、ルノー、アントワネット、ルローン、アンザーニなどが有名、1910年頃の西ヨーロッパには70社以上のメーカーがあったようだ。本家ドイツではダイムラーやベンツ、米国はカーチスなど数多く林立して、その中には、ロールスロイスやフィアット、ルノーというように本業は自動車屋、そしてBMWのような専門メーカーもあるが、いずれにしても、軽量強力ということで、自動車用途とは全く異なる視点で開発設計されていた。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。