【車屋四六】マツダのフルサイズ乗用車

コラム・特集 車屋四六

93年に本稿をカー&レジャー紙に書いているとき「電動パチンコはハタチです」とTVが紹介。ということは、電動パチンコは昭和48年生まれと云うことになる。

私が高校生の頃渋谷で夢中だった昭和30年代は、玉を左手で一個入れては、右手で弾いていた。一個入ると一個、時には二個、また特定の穴では更に多く、やがて15個も出るようになると「ハカがいく」と大喜びしたものである。

が、電動になったら、如何にも博打じみて味気なくなり、それで止めてしまった。でも電動の発明でパチンコ隆盛時代が到来したとTVが云っていた。

伝統パチンコと同じ年に登場したのがクオーツ時計。ブローバの音叉時計の特許を買えなかったセイコーが開発したのがクオーツ式腕時計だった。ついでに“ごきぶりホイホイ”もハタチと知った。(この20年前とは、1993年の話である)

ちなみにセイコー・デジタル腕時計の値段は14万円。大卒初任給5万円の頃だから、とてもじゃないが高嶺の花だった。

現世代から勘定すれば、約40年前、マツダは世界に先駆けてロータリーエンジン(RE)の量産化に成功、ロータリゼーションを旗印に執念の戦いに挑んでいた。しかも世界初ツーローター型の高出力REを完成してコスモスポーツを開発、市販に漕ぎ着けたのが67年だった。

それからのマツダのRE展開作戦は目を見張るほどで、それをマツダは“ロータリゼーション”と呼んでキャンペーンを繰り広げていたのである。

作戦の始まりは大衆車ファミリアから。そしてファミリアプレスト、ルーチェロータリー、コスモ、グランドファミリアと、それこそ矢継ぎ早の展開であった。

やがて軽自動車のRE搭載車を開発したというニュースが入ってきた。実際にそれは完成していて“シャンテ”と名前まで付いていたのだが、市販されずにマボロシの軽になってしまった。

高出力高性能を危惧したが、対抗手段がないメーカーと役所の圧力に負けたのだという噂が流れてきた。

RE軽は諦めたマツダだが、その頃欧米でも通用する大型セダン開発が進行していた。そして75年登場したのがロードぺーサー。(写真トップ:マツダのフラグシップカーとなったロードペーサーRE:当時の日本ではクラウンやセドリックが大型だったが、オーストラリア生まれのロードペーサーは本物フルサイズカーだった)

日本離れした姿も道理。生まれはオーストラリア、GMが開発発売するオーストラリア製ホールデンのシャシーとボディーを買い付けて、REを組み込んだのである。未知の大型車開発ということばかりでなく、新車開発費の莫大な費用、生産設備の設備投資を節約という一石二鳥の妙案だった。

後ろ姿も貫禄でバタ臭いロードペーサー

搭載エンジンはルーチェ・ハードトップ用からの進化型13B。654ccx2ローター、圧縮比9.0、4バレルキャブレター、135ps/6000rpm、19.0kg-m/4000rpm。

全長4850㎜、全幅1885㎜、全高1465㎜、ホイールベース2830㎜。車重1575kg。最小回転半径5.7米。最低地上高160㎜。定員5名。定置燃費9.0km/L。3AT。ブレーキ:前ディスク/後ドラム。タイヤ:7.50-14-4p。価格386.5万円。前席はベンチシートとセパレートをチョイスすることが出来た。自慢は、大柄だが最高速度165㎞という俊足だった。

ロードペーサー誕生の75年は昭和50年、登場したニューモデルはスバルレオーネ四駆セダン、ランサーセレステ、ロードペーサー、セドリック330、グロリア330、シルビアS10、コスモAP。

余談だが、日産シルビアは飛び抜けてスタイリッシュな車だったが、本来は日産開発のRE搭載予定だった。が、前年勃発の世界的石油危機でエコムードが高まり、燃料消費が多いRE搭載を断念、レシプロエンジン搭載で登場したものである。

数字横並びの速度計、各メータレイアウト、ステアリングハンドル、何処を見てもアメリカンスタイルそのもの