人類初の商売は個人売春だが、やがて悪い輩が売春宿を開業、更にオカミ公認へと進化する。日本では今を去ること400有余年、天正18年/1590年頃、天下統一達成の豊臣秀吉の時代に始まり、江戸時代には幕府公認の吉原はじめ各地に遊郭が繁盛していた。
が、昭和33年/1958年4月1日売春防止法の施行で遊郭の灯が消える…で、3月31日の深夜午前0時、吉原始め各地遊郭から、客と娼婦の合唱「蛍の光」の歌声が響いたそうだ。56年に売春防止法が成立した際は、解放される娼婦が喜ぶと思いきや「女子従業員連合会」を組織、売春防止法施行反対運動を繰り広げたが駄目で「私達の職を奪うな」の目的は果たせなかった。
売防法が成立した56年、ドイツでBMW507が誕生した。高級スポーツカー・ベンツ300SLの人気上昇に追従、開発されたのだ。
52年敗戦から復興中のドイツで、BMWが戦前の栄光復活を賭けて開発した501セダンが502に。さらに戦後ドイツ初のV8搭載の503に進化し、それをベースに開発されたのが507だった。
全長4380×全幅1650㎜・車重1220kg・V型八気筒3.2Lを搭載、敗戦国ながら戦前世界屈指の自動車生産国らしく、こんなスポーツカーを造る力と技術をドイツは温存していたのである。
日本ではようやく観音開きクラウン誕生。米国では新人プレスリーの「ハートブレイクホテル」が大ヒット、それが6月日本に上陸すると、それまでのマンボ族が一気にロック族に改宗した。
ベンツ300SLは世界的成功作になるが、BMW507は、予期に反してサッパリだった。その理由は明白…開発段階でローコストに努力したが果たせず、300SLと同じような値段になったからだ。
斬新な5MT・ゼロ400m11.5秒・最高速度220㎞というズバ抜けた性能も、高価格では武器にならなかったのである。
ロック歌手のエルビス・プレスリーが、何の弾みか兵隊になりドイツに駐留した。年季が明けで帰国する時に507を持ち帰ったが、裕福な彼だからこその買い物だった。
素晴らしいBMW507も、売れなければ仕方なし。59年生産終了時点で、総生産量はタッタの215台だった。私が側に立つ素晴らしいコンディションの507は1958年製…世界屈指のBMWのコレクター「カメラのドイ」創業者の死後、地元堺市に寄贈されて、そのうちの1台が写真の507なのである。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支 離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格 審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち 」「懐かしの車アルバム」等々。