戦争が終わったのに、28年間もジャングルに潜んでいた元日本陸軍の横井庄一軍曹がグアム島で発見された。
「恥ずかしながら」の帰国第一声が話題になった昭和47年/1972年に誕生したのがスバル・レックス。
当初はツードアのみで上級車種GSRが44万3000円。73年追加登場のフォードアは、カスタムLグレードが45万9000円だった。
敗戦の痛手から立ち直り、経済復興に成功した日本も、戦後29年目ともなればゆとりも生まれ、自動車運転免許証保持者の数が3000万人。正確には3008万7623人と云うから、免許保持者が全人口の2.7人に1人ということになる。
御承知のようにスバルは、スバル360で日本に軽自動車市場を創生した功績ある企業である。
そのスバル360が、よりスペース効率の良いスバルR2に発展。さらに向上を目指したのが、スバル・レックスだった。
73年3月、フォードア登場時のエンジンはツーストロークだったが、10月になるとフォーストロークに進化する。
この年、世間お騒がせの話題は金大中事件。
来日中の金大中が九段パレスホテルからKCIAにより拉致され、韓国への船中で殺されかけるが、米国の干渉で一命を取り留めて帰国。後に韓国大統領になる人物である。
ちなみに、スバルは360以来R2までは伝統の後エンジン後輪駆動、いわゆるRRがトレードマークだったが、レックスでは前輪駆動へと180度の変身を遂げた。
関口淳少年のスプーン曲げが少年サンデーに紹介されて「嘘だ・本当だ」と話題騒然の74年、レックスはマイナーチェンジ。
NHK朝ドラは“鳩子の海”、大河ドラマ“勝海舟”では、海舟役の渡哲也が肋膜炎で降板、松方弘樹に交代が話題になった。
リアのハッチガラスが跳ね上がるユニーク仕掛けのスイングバックが登場する78年の話題は“江川空白の一日”。
交渉権獲得失敗の巨人の策謀だった。先ず権利のあるクラウンライターズ入団を江川が拒否。その後紆余曲折を経ての阪神タイガース入団は見せかけ。ドラフト会議前々日に交渉権失効で生じる空白の一日に、阪神(江川)巨人(小林)間のトレードで江川の巨人入団実現という、際どいカラクリ事件だった。
さて、スイングバック型はレオーネにも登場するが、暫くすると両者消えていた。格好良く面白みもあり使い勝手よしのスイングバックが消えた理由は、今もってわからない。
80年になるとオートクラッチ登場。こいつはATとは異なる機構で、面倒なクラッチ操作無しでシフトを可能にした機構。
三菱電機との共同開発で、鉄粉を挟む強力な円盤状磁石にアクセルONで電流が流れて駆動力傳達という仕掛けだった。
アクセルOFFで磁力消滅。その間にクラッチ踏まずにシフト可能、前進・後進ギアのまま停車可能という優れもの。クリープ現象なし。
馴れて違和感が消えると便利だったが、嫌う人も居た。
レックス・スイングバック・オートクラッチ/水冷二気筒フォーストロークOHC・544cc・圧縮比9.5・28ps/8000rpmという広報試乗車を借りて、栃木方面に出掛けた。
栃木インターを出て左折で田舎道を走ると、面白い形の山は鍋山。この辺りダンプカーが多いのは、奥に石灰採掘場があるから。走ると路面を覆う石灰粉が舞い上がり、雨の日は車がベトベトになる迷惑道路である。
更に進むと蕎麦屋が並ぶ道に。山向こうの葛生は蕎麦の名産地で、スバルのプルービンググランド(試験場)があるところ。
蕎麦屋連立の道を進むと、突如、大きな寺(出流山満願寺)が現れる。行った甲斐がある由緒ある古寺、観光がてら蕎麦の味を楽しめる。蕎麦好きなら是非おためしあれ。(我が愛車:4サイクル排ガス対策車・前にSEEK-Tの文字/路上駐車禁止になりジャガーからスズキフロンテに→軽規格拡大で門柱間のドア開閉不能で4ドア購入・後席ドアから乗降/80年家建替えで問題解決・登録車に戻る)