レース参戦車に搭載したのはルイヴィトンの道具箱?

コラム・特集 車屋四六

日本には、不勉強で支離滅裂なブランド愛好家が多すぎる。

かつて六本木カローラと呼ばれたBMW3に銀座のオネーサン達が憧れ、もっと高級なのがあるのにロレックスに憧れ、シャネル、グッチ、ブルガリ、どれもが高級品ではあるが、日本のブランド愛好者達には、単なる憧れの流行品でしかないようだ。

高級良質だから持ちたいのではなく「誰もが持っている」が買う理由。街で行列を見れば取りあえず並んでしまうという主体性のない性格、そんなものに共通する何かがそうさせるのだろう。

ある日、突然何処かのブランドが走り出すと、大都会から地方へ、女も男も追いかけて確定するのが日本的ブランドである。
日本的ブランドは単なる流行で、持っていなければ流行に取り残される?との焦燥感に駆られ{何が何でも手に入れなくては}と思うのだとブランド品が好きな女性が云っていた。

「極東で何かが起きている」売れるはずもない高級品が何故?調べると買いあさっているのは日本の女達。ルイヴィトン社は開闢以来の出来事に驚いた。世界のセレブ御用達バッグを、日本では大衆が持つトンチンカンさが不思議だったようだ。

「亭主元気で留守がいい」なんてうそぶくオバサン達ならまだしもOL、さらに親がかりの女子大生達が、このような高級品に目がないのか、日本は不思議な国に見えたようだ。

由緒ある高級品、高品質、丈夫で長持ちと承知しているならまだしも、彼女達はLVのロゴが重要で、それを持ちたいと執着するだけなのだから、ただ呆れるばかりである。

話変わって、パリ北京ラリーを走った著名ジャーナリスト三本和彦は「長丁場悪路は当然だが、道なき道・渡河、あんなひどいのは初めて」とこぼしたが、今のように四駆などない1907年に北京パリという長丁場のレースが既にあった。優勝はイタリアのイターラだが、そんなことで感心してはいけない。

西回りニューヨーク→パリ間レースというのもあった。米国トーマスフライヤー優勝は、映画グレートレースで覚えている人も居るだろう。太平洋を船で渡り数台が日本を縦断している。

さて今回の話題は、それに出場のフランスのモトブロック車の運転席横の道具箱である。拡大すると、ルイヴィトンのロゴが見て取れる。

ニューヨーク→パリレース出場車モトブロック:ステップにルイヴィトン製道具箱/前照灯と車幅灯はアセチレンガス。木製スポークホイールに12本のボルトで固定されたソリッドタイヤ

そもそもルイヴィトンは19世紀中頃に創業した旅行用衣装箱が始まり。当時そんなものを持ち馬車や船で旅する人達は、一握りのセレブ…王侯貴族金満家御用達衣装箱である。
楽器造りのように何年も乾燥させたポプラの木箱に布や革を張り強度を持たせたケースは軽く丈夫高品質と評判になった。

さて、馬鹿げたレースの出場者は当時の大金持ち。出場車に軽く丈夫な道具箱と思った時、頭に浮かんだのは日頃愛用のルイビトン。早速車に合わせて特注したのが写真の道具箱。

WWⅡ前のルイヴィトン:黒黄ストライプにTNは注文主のイニシアルだろう/下はスーツケース/立てて開けば女性ドレスを吊り下げそのまま洋服箪笥になるという大型もある。

今では死語になったようだが、私が子供の頃{身分相応・不相応}という言葉があった。が、庶民がルイビトンを気軽に持てる時代になったのは喜ぶべきことだろうが、それなら自分の所有ブランドの由来くらいは承知して欲しいものである。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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