日本自動車会議所(内山田竹志会長)は7月25日、第260回会員研修会を開催。アテネ、北京、ロンドンと3回連続パラリンピックにライフル射撃で出場した田口亜希さん(現・日本郵船 広報グループ)を講師に招き、自身の体験を交えつつ障がい者にとってのスポーツの存在や、誰もが共生できる平等な社会の実現について講演した。
田口さんは、2020年東京パラリンピックの誘致活動ではIOCに最終プレゼンテーションを行ったほか、現在はスポーツ庁参与、パラリンピアン協会理事等、様々な役職にあり、全国各地の講演活動等精力的に活動している。
田口さんがクルーズ船のパーサーとして勤務していた25歳の時、突然の脊髄の病気により、車いすを使うようになり〝絶望〟を味わったが、度重なる友人や同僚と会話で気持ちが徐々に変化。「できること」を増やし、前に進む気持ちに変われたという。
発病から2年半後、子会社に復職。「できること」が増えるとうれしくなり、友人の勧めで始めたライフル射撃も、コーチの指導や練習によりメキメキと腕を上げ、国際大会出場選手に選抜されるまでになった。やがて、それまで意識していなかった、2年後のアテネパラリンピック出場が視野に入ってきた。
何より驚いたのは「2年後のこと」を考える自分の姿だったという。復職時は仕事を与えられただけで幸せ、まずは与えられた仕事をできるように頑張ろうと、夢や目標とは無縁だっただけに、スポーツに打ち込むことで考え方も大きく変わることができた。
一方、復職した職場は当初、周囲が田口さんを〝手助けしなければ〟という雰囲気だったが、慣れてくると周囲も〝できないことがあれば頼んでくるだろう〟に変化した。
「それでいいと思います。自分でできることはやらないといけないし、自分でやることで、できることが増えることもあります」と田口さん。また、環境が整えば障がい者も雇えるということを証明していきたいという。
自身も車いすを使うまで、障がい者用の施設の意味や重要性を理解していなかった。「言葉で共生社会を教えることも大切ですが、まず一緒に勉強したり、働いたり、スポーツしたりすることで、意識せず共生社会が生まれるのでは」と田口さんは実感している。
障がい者もクレームではなく、自分たちの経験を意見として発信し、意見を交わすことが改善につながり、お互いができることで助け合う共生社会が育まれるのでは」というのが田口さんの考えだ。