SEEK・MCA・TTC・NAPS・EPIC・CVCCなど、いま判る若者は居なかろう。1970年代、世界最先端で技術開発続けた日本自動車メーカー各社の、排ガス浄化システムの名だった。
{地球を綺麗にする}それは素晴らしいことで、その一端、自動車排気ガス浄化そもそもの始まりは、1970年、マスキー上院議員が議会に{大気汚染防止法案}を出し、それが可決してからだ。
規制は、COを75年迄に10%以下に、NOxを76年迄に10%以下に、というもので、72年ホンダCVCCが、73年マツダREがクリアするが、ビッグスリーをはじめ世界中が至難の業と反発して、74年廃案になる。が、規制自体は修正されたり、実施延期したりしながら発展し、今日に至っている。
そんな中、真面目にコツコツと開発に取組んだのが日本の各社、そして各社に浄化システムが完成して、日本車のエンジンは世界一クリーンになったのである。
で、各社のピストンエンジンはOKの見通しが付いたが、次なる心配はロータリーエンジン/REだったが、それも取越し苦労。早々とREPSシステムの開発で米国環境保護庁検査に合格で安堵した。
REは、元来NOxが少ない機関だから、HCとCO退治に力を入れて開発した仕掛けは、耐熱材料の燃焼室/サーマルリアクターに酸素注入で再燃焼させて、浄化促進というシステムだった。
マツダのコスモスポーツは、世界初の2ローターRE搭載で、世界の注目を浴びた名車だが、暫く休眠の後、満を持して1975年に登場したのが写真のコスモ・クーペだった。
そんなクーペが79年にマイナーチェンジ、規制クリアRE搭載でデビューした。もっとも直四OHC1.8ℓも用意されたが、主力のREは、654ccx2/12Bと573ccx2ローター/12Bで、計三種。
写真のクーペはGTらしく13B搭載で、性能はキャブレター仕様、圧縮比9.1で140馬力/6500回転、19.0kg-m/4000回転と、各社軒並みパワーダウンの中にあって強力だった。
走れば、マツダばかりか他社のレシプロ搭載車と較べても、加速感、吹け上がり感、どれもが快調だったが、いきなりアクセルを閉めると、パンパンと鋭いアフターバーン音で、自分ばかりか周囲の人々も驚かせてしまった。
枯れ草や新聞紙などの上に駐車注意と警告された。サーマルリアクターの熱で下の可燃焼物が燃えるという噂話を聞き、アイドル状態の排気管に煙草を近づけたら見事に火が点いた。
その後、形を変えて進化する排ガス規制だが、74年に廃案になるのに、日本だけが真面目に挑戦し、成功した技術は無駄ではなかった…優れた燃焼技術を手に入れた日本車は、それを武器に世界中で有利に戦いを進めることができたのである。
正直者が馬鹿を見ることはなかったのだ。