神国日本がよもやの敗戦から25年、四半世紀が経った昭和45年=70年にトヨタから誕生したのがカリーナである。
「足がいいやつ・チバちゃん」というようなコマーシャルだったと記憶するが、アクションスターの千葉真一をキャラクターに起用して打ったキャンペーンのお陰で、カリーナと云えば“足のいいやつ”というイメージ確立に成功した。
カリーナが目指すトヨタの目論見は、カローラを卒業したユーザーがターゲット。昭和30年代、日本製乗用車は一人前にはなっていたが、日本経済は未だ一人前ではなく、自家用車などというものは、未だ一握りの裕福層御用達で、大衆には高嶺の花だった。
が、66年にサニーとカローラの登場で様子は一変した。朝鮮戦争をテコに日本経済は立ち直りのきっかけを掴み、以後しゃにむに働いて、庶民の所得が増えてきたのである。
その間に外国の生産技術を学び量産に習熟した自動車産業は、量産効果とやらで、格安に車を造れるようになった。で、サニーで実現した41万円なら、何とか手が届くようになったのである。
次いで登場したカローラ、そしてそのライバル達の価格努力で、日本に本物の大衆車時代が到来したのである。が、トヨタの場合カローラから一気にコロナでは価格差がありすぎる、ということで中間を埋める車種が必要になった。
こうして70年10月誕生したのがカリーナ。日本初のスペシャリティーカー・セリカの部品の流用で開発した兄弟車だった。だから、足が良いのは当然の結果だった。
その頃になると、日本の自動車ユーザーは「何でも持てれば幸せ」という時代が終わり、少々のゆとりも生まれ、マイカーを自分の好みで選びたいと思うようになってきた。
カリーナのユーザーターゲットはヤング層。ということでスポーティーな兄弟車セリカのイメージをダブらせて、スポーティー感覚を盛り込んで仕上げて、前述CMを打ち出したのである。
そこで“足のいいやつ”の実力をアピールするために、最強モデルには、セリカ1600STと同じ心臓を与えたものである。
最高速度175㎞、販売価格70万円、当時としては最高なコストパフォーマンスだった。で、若者の心を捉えることに成功して、人気車種になる。
そしてセリカとは別立てのブランドを確立して、新ジャンル・スポーティーセダンとして一人歩きに成功したのである。
ちなみにスリーサイズは、全長4155㎜、全幅1580㎜、全高1340㎜、ホイールベース2425㎜。車重965kg。定員5名。2T-B型エンジンは直四OHVで1588cc、圧縮比9.4で105ps/6000rpm、14.0kg-m/4200rpm。
この頃になると、日本製エンジンも高い圧縮比に耐え、高回転でハイパワーが得られるようになり、加えてツインキャブレターで高出力を生み出していた。