【車屋四六】ジャガーは大衆高級車?
車屋四六】ジャガーは大衆高級車?

コラム・特集 車屋四六

WWⅡ以前日本の乗用車とは、一握りの金満家・高級官僚・大社長達の専用らしく、ほとんどが黒塗り高級車ばかり。パッカード、キャデラック、ビュイック、リンカーン、ピアースアロー、ダイムラー、ベンツ等々どれも黒塗高級車ばかり。

一方、私が子供の頃、大衆も乗るタクシーやハイヤーは日本製のシボレー、フォードが多く、小型自家用車ではオースチン、ダットサンがやたら多かった。

オースチンは何故か医者のオーナーが多かった。戦争を挟んで日本医学はドイツ流。戦前ドイツ留学の医者が多かったのに、英国車という組み合わせが不思議だと思ったのは中学生の頃。

そんな戦前、今でこそ高級車ジャガーも日本では無名。というのも欧州留学の金満家は、ジャガーが高級でないこと知っていたから。当時のジャガーは大衆御用達の高級車モドキだったのだ。

ジャガーが世界で有名になるのは戦後のこと。ドル稼ぎ目的の輸出奨励策で、これからは対米輸出の車造りを目標に、ジャガーは切り札開発に全力投球をする。

その切り札はDOHC。イギリス流でツインオーバーヘッドカムシャフトで通称ツインカム。それまでのツインカムは、ごく一部の高級車やレーシングカーだけの高級エンジンだった。ちなみにフェラーリのDOHC搭載は、ジャガーよりずっと後のこと。

高性能だが部品が多い複雑メカだけに高価なのをコストダウンに成功。そのツインカムにふさわしい未来志向の流線形ボディーに搭載したのがジャガーXK-120だった。

直列六気筒ツインカム3442㏄は、SUキャブ二連装で160hp/5000rpmという高出力で、流線形のXK-120を190km/hという高速に加速したのである。

伝統、ジャガーの廉価価格設定は継承されて、売価はわずかに998ポンド。邦貨換算で約100万円。で、安けりゃ買えると欧州駐在の米兵が買って故国に持ち帰り人気上昇、ジャガーの目論見は見事に的中したのである。

SU型キャブレター二連装、XK-120のツインカム(DOHC)エンジン。アルミヘッドが美しく、私もMK-Ⅶのヘッドを真鍮磨きで良く磨いたものである

世界中がビックリの斬新姿も、時が経てば性能と共に古くなる。で、XK-120は、XK-140→150と正常進化を続けた。が、それでも時代遅れになり、61年満を持して登場するのがジャガーEタイプ。またしても未来志向の姿を見せつけた。

ツインカム健在のエンジンは4230㏄に。SU三連装で260馬力、最高速度も241㎞に跳ね上がる。後日5343㏄V12気筒272馬力も加わるが、走行性能は六気筒4.2リットル方が優れ、当然レースでの活躍は六気筒の方。

XK-120の頃の日本は敗戦貧乏時代。で、一部の成金や芸能人の持ち物でしかなかったが、140、150と時代が移る頃には日本経済も順調復興、じょじょに輸入量も増えて、SCCJなどのイベントで活躍する姿が見られるようになる。

スピードトライアル出場のXK-120:保存状態良好で英国ナンバーのままだから普段は車庫に大事に保管されているのだろう

自民党議員で環境庁長官もやった中村正三郎はSCCJ会員で、XKやポルシェ911、ロータスヨーロッパなどで活躍したが、日本グランプリの頃にはEタイプに乗っていた。

ちなみに日本GPをEタイプで走った連中というと、後のプリンスファクトリーの親分格横山達。安田銀次、青木周光、横山精一郎などの姿を今でも想い出すことが出来る。

日本はGPでようやく本格的レース時代を迎えるが、問題はレーシングテクニック。で、テクニック習得のために、欧米でも著名なピエロ・タルフィが招請された。

WWⅡ前後に跨るグランプリ歴戦の勇士”シルバーフォックス”の異名を持つタルフィは、理論家肌のドライバーで、そのウンチクには定評がある人物だ。

来日したタルフィは、埼玉県の工業技術院村山試験場のテストコースに有志を集めて実習。写真は生徒持ち込みのジャガーEタイプで、コーナリングの授業中。

ちなみに船橋サーキットの設計もタルフィ。また第二回日本グランプリでは名誉総監督としてFIAから派遣されている。元JAFスポーツ委員長の湊謙吾が親交を持っていた。