今回は、バンコク自動車ショークラシックカー展示室で見つけた、ポルシェ356Bスピードスターを紹介しよう。
この車の高性能は定評があり、フロントウインドーの上部に青灯を付け、リアにスピーカーを付けたハイウェイパトロールの警察車を、アウトバーンで見たことがある。
この356ロードスターには、A、B、C型があり、C型の後は356の長い使命が終わり、911へとバトンタッチするので、356としてはもっとも熟成されたスポーツモデルといえる。
偉大なドクター・フェルディナンド・ポルシェは、VWビートルでその名を知られるが、生来、速い車を追求したようで、オーストロダイムラー、メルセデス、アウトウニオンなど、それぞれの時代で、最高のレーシングカーを造ってきた。
が、これだけ偉大な経歴の持ち主なのに、ポルシェの名を冠した車はなかった。それが登場したのがWWⅡ後の49年開催のジュネーブショー、それがポルシェ356のデビューだった。
戦争反対だったポルシェ博士だが、ヒトラーと緊密だったために47年夏まで356開発の頃は戦犯としてフランスの獄中にあり、開発は息子のフェリー・ポルシェによるものだ。
いずれにしても、VWのパーツを流用した356、開発時のコンセプトは”早く安全快適に走るロングツーリングカー”で、純然たるスポーツカーではなかった。いわゆるGTだったのである。
が、356はスポーツカーとしても異例な資質の持ち主で、主にアメリカでスポーツカーレースの花形になり、ファンを増やしていった。そうなれば、バリエーションも増えるのが当然で、クーペ→カブリオレ→スピードスターと誕生した。
もちろん純粋なレーシングカーも造られた。新進気鋭の俳優ジェイムス・ディーンが、買った新車でディーラーからの帰路に事故死したのは、ロードゴーイングレーサーのポルシェスパイダーである。
人気の356は年々改良熟成されて、56年に356Aになり、59年に356Bへと進化する。更に進化した356Cの登場が63年で、同じ年の秋のフランクフルトショーに登場する。が、64年には、356とは全く共通部品がない、全てが新開発の911が登場する。
バンコクのポルシェ・スピードスターは356B。スピードスターの特徴は、フロントウインドーが低いこと。また356Bではヘッドランプ位置が高くなった関係で、両フェンダーが直線的に、バンパー位置が上がって、その下にブレーキ用通風口が設けられた。
60年型356B1600Sは、全長4010x全幅1670㎜、ホイールベース2100㎜。車重900㎏。空冷水平対向四気筒OHV、1582㏄、75ps/5000rpm(通常の1600は60ps/4500rm)。356Cでは四輪ディスクブレーキになるが、356Bはまだドラムブレーキだがフィンつきアルミ製ドラム、いわゆるアルフィンドラムを装着していた。
50年代後半、米軍将校所有のスピードスターが、SCCJ主催調布飛行場のジムカーナに出てきたことがあるが、聞いてみたら、カブリオレより車重がかなり軽いので加速が良く、0-400m加速17,1秒、最高速度175km/hと云っていた。
日本でのポルシェ輸入エージェントは赤坂溜池時代から三和自動車だが、暫く途絶えていたポルシェの輸入が、経営者が替わって再開されたのが、この356Bあたりからだったと記憶する。