【車屋四六】バンコクのジャガーEタイプ

コラム・特集 車屋四六

バンコクレポート第三弾は、ジャガーEタイプ。1950年代のジャガーは、御大ウイリアムズ・ライオン社長の面目躍如の時代で、アメリカ市場ターゲットの、近未来的姿の連発だった。

その第一弾は、ロードスターのXK-120。戦前からの古風な姿が常識時代のXK-120のスタイリングは近未来的、UFOを見るような気分だった。しかもフェラーリさえOHCの時代に、高嶺の花のDOHCを搭載していたから世界中が注目した。

戦後のイギリスは戦勝国ではあるが、復興のためドル稼ぎ優先の輸出振興。それがターゲットのXK-120は目標達成、その功績が認められて、ライオン社長は女王様からサーの称号を賜る。 近未来的姿で世界のドギモを抜く商法は更に続く51年にMK-Ⅶ(セブン)フォードアサルーンを発表。こいつもⅧ→Ⅸ→Ⅹと進化しながら、スタイリングの最先端を走っていった。

さて、世界に衝撃を与えたXK-120は、54年にXK-140へと進化。57年には更にXK-150へと進化するが、日本が敗戦貧乏の時代だから、進駐軍兵士の自家用車を中古で入手することで、ごく一部の裕福な人達が乗り回していた。元環境庁長官で衆議院議員だった若き日の中村正三郎も愛用者で、SCCJのレースやヒルクライム、グランプリなどを楽しんでいた。

一世風靡の伊達男XKシリーズも見慣れてくれば、ただのスポーツカー。というわけで、61年を最後にお定まりのフルモデルチェンジ。登場したのがEタイプである。

登場したEタイプの姿は、またもや近未来的で、世界のスポーツカースタリングをリードすることになる。性能も良く、日本グランプリなどにも、しばしば姿を現したから、年輩フリークには懐かしいだろう。

正式名称はジャガーEタイプだが、最大の得意先アメリカでは、XKの印象が忘れられず、XK-Eと呼び習わした。Eタイプには1~3シリーズがある。1の3.8Lは64年から4.2L。が、後半の67~68年型を1.1/2シリーズと呼ぶ。

こいつは、厳しくなるアメリカ連邦基準に合わせて、各所に改良が加えられて、同じ姿ながら内容は進化した2シリーズに近いことから、そう呼ばれるようになったのだ。

さて、4.2L搭載の2シリーズの登場は68年で、3シリーズに替わるのが71年。こいつは5.3LのV12気筒を搭載して75年まで活躍する。

こうして61年に登場して75年まで、長きにわたり活躍したEタイプだが、バンコクのEタイプを観察すると、ヘッドランプやバンパーの形から推測すれば、67年登場の、1.1/2シリーズだと思う。

Eタイプは後ろから見ても美しい。ホイール脱着用センターロックは昔のハンマーで叩くタイプ。ディーラーナンバーだから何処か試乗先で取ったものだが思い出せない

この最後の1シリーズ自慢のDOHCは、ツインカムヘッドカバーが磨きアルミから黒とシルバー塗装に、ハザードランプスイッチが追加されている。

外観では、これまで流れるようなボディーとツライチのヘッドランプの透明カバーが廃されて、ランプが剥き出しになったこと。そしてガードが付いたバンパー。そしてホイールが変更された。

写真(右)はイギリス伝統のメッキが美しいワイヤーホイールだが、このシリーズから、ハブセンターの固定ナットの耳が廃された。人体に危険という理由だが、以来この手のホイールはアダプターを被せて、銅ハンマーでホイール脱着をするようになる
余談になるが、よく聞かれるので説明しておこう。フロントスクリーンのセンターに見える細いメッキの棒だ。

ロードスターでは被せた幌先端をスクリーン上部に金具で固定する。車が高速で走ると、当然揚力が発生する。で、幌の揚力がスクリーン上部に集中すると、上部金具が外れたり、ガラスごと吹っ飛ぶ事故が昔しばしば起きた。それを防ぐために、上縁サッシを下から引っ張り揚力に抵抗するためのメッキ棒なのである。

この棒は、昔のロードスター型スポーツカーのほとんどが装備していたが、私が愛用した、ヒーレイ100、トライアンフ、またホンダS600にも。もちろんMG、ベンツSLなどもみな同じ。

サクラメント郊外飛行場レースでのジャガーXK-120。後方にヒーレイ100、ポルシェ356が見える