【車屋四六】40&50年代 アメ車は光り輝いていた
私が子供の頃~青春時代、アメリカ車は光り輝いていた。正確に云えば、40年代、50年代から60年代を少し入った頃まで。そして60年代後半~70年代、80年代でアメ車の人気が地に堕ちた。 「大食い、すぐ壊れる」はまだしも、す […]
続きを読む私が子供の頃~青春時代、アメリカ車は光り輝いていた。正確に云えば、40年代、50年代から60年代を少し入った頃まで。そして60年代後半~70年代、80年代でアメ車の人気が地に堕ちた。 「大食い、すぐ壊れる」はまだしも、す […]
続きを読む昔、日本の小型車の定義は1500㏄以下だった。そんな日本市場に初めて登場した1500小型車がプリンス号セダン。ブランドに”号”を付けるのは何とも古めかしいが、当時の日本製自動車には”号 […]
続きを読む昔の諺に”出る釘は打たれる”というのがあるが、シャンテはまさにそれだった。栄光に輝き世界から注目されるはずの車の運命は、ライバル達のエゴに打ち砕かれてしまった。 戦前から戦後のオート三輪市場でリー […]
続きを読む太平洋戦争を挟んで一時期、三輪貨物自動車(オート三輪)が一世風靡の時代があった。空冷エンジンが発する排気音から、東京ではバタバタの愛称で知られるが、バタコと呼ぶ人も居た。 バタバタの元祖はダイハツ、対するライバルが広島の […]
続きを読むアバルトブランド初となるオープンスポーツ2シーター「124スパイダー」は、マツダ・ロードスターの構造をもとにデザイン、パワートレーン、室内装備・素材、サスペンション、ステアリングフィールはFCAが開発。生産はマツダ本社工 […]
続きを読む国内販売における欧州車メーカーに先んじてディーゼルエンジンのラインアップ拡充を図ってきたボルボから、特別な限定車が登場した。同車は、2・0L4気筒ターボディーゼル「D4」エンジンを搭載した「V40 D4」をベースに、スポ […]
続きを読む昭和40年=65年第11回東京モーターショーで、一台のグランツーリスモが注目を浴びていた。グランツーリスモ=GTはスポーツカーではない。日本人のGTは、過激なスポーツカーだが、本来は長距離快適ツアラーで、いざ鎌倉となれば […]
続きを読む30年代初頭、ドイツの天下人になったヒトラー総統は、国威高揚の一手法として自動車を利用することにした。 先ず世界のレースを席巻してドイツの技術工業力をアピールすること。もう一つ、不況で不平不満が充満するドイツ労働者に希望 […]
続きを読む昨年2月にフルモデルチェンジし、新しい顔と先進機能、そして燃費効率を高めた〝ライトサイジング〟2・0Lエンジンが与えられた「アウディA4」。その発売後、しばらくして追加設定されたのが今回試乗した新型「1・4 TFSI」だ […]
続きを読む高級かつ高価なスポーツカーの傑作、メルセデスベンツSSKが誕生するのは28年だが、その前26年に6245㏄+スーパーチャージャーの180Kと呼ぶ大型ロードスターを発表している。(写真トップ:豪華大型傑作ロードスターのメル […]
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