【車屋四六】40&50年代 アメ車は光り輝いていた

コラム・特集 車屋四六

私が子供の頃~青春時代、アメリカ車は光り輝いていた。正確に云えば、40年代、50年代から60年代を少し入った頃まで。そして60年代後半~70年代、80年代でアメ車の人気が地に堕ちた。

「大食い、すぐ壊れる」はまだしも、すっきりとしない消化不良的スタイリング、反射光の筋が通らない凸凹ボディー、隙間不揃いボディーの継ぎ合わせ目、世界一の工業国とは思えぬ不出来な車になってしまったから、人気凋落も当たり前だった。

今にして思えば、徐々に深みにはまるベトナム戦に並行していたようだ。そして世界一の自動車王国の自負から生まれた油断で、作れば売れる、儲かると安易な考えで、研究開発を怠けている間に、欧州車と日本車に市場を荒らされたのである。

が、90年代からのアメ車は見違えるように変身。スタイリング、品質仕上げ、丈夫さ、燃費、ついこの間までが嘘のように立ち直った。が、一度堕ちた人気は戻らず、元々売れなかった欧州はいいとしても、日本での人気も未だ復活しないでいる。

が、車の品質向上とは裏腹に例のリーマンショックで業績不振。フォードは自力で抜け出したが、クライスラーはフィアットの傘下に、世界一GMは破綻で政府の支配下に。GM=ジェネラル・モータース変じて、GM=ガバメント・モータースになってしまった。

さて、話を戻して40&50年代アメ車が輝いた頃の日本では、大企業社長、大臣、高級官僚、言うなれば偉い人達御用達は、キャデラック、リンカーン、パッカード、クライスラーと相場が決まっていた。知名度のないベンツ、誰もしらないBMW、ロールスロイス、ベントレイ、どれも相手にされない銘柄だった。

そんな頃のアメ車は、シボレーやフォード、プリムスといった大衆車でさえ馬鹿でかく、大排気量大馬力当たり前。が、デカイのばかりではなく、小さいのもあったのが不思議だ。

戦前型ダットサンほどのクロスレイ。三菱がライセンス生産したヘンリーJ。またジープで景気が良かったウイリス社の美しいエアロウイリス、いずれも長生せずに消えてしまった。

結局、アメリカで小型車は育たないと云われたが、何故か小型で成功したのがあった。1917年創業の大型車製造の老舗、ナッシュ社が売り出したランブラーである。

ランブラーの成功で調子にのり開発された超小型のナッシュ・メトロポリタン。写真はオープン二座席だがハードトップクーペもある

小型といえども、米国製だから日本では中型だが、意外な人気で調子に乗ったナッシュ社は、更に小さなメトロポリタンを54年に発表した。

同じ頃ナッシュ社は、元気を失った老舗ハドソン社を吸収、アメリカンモータースと社名変更。ハドソンは高級車の名門パッカード社を吸収していたから、新会社はブランドだけは豊富だった。

50年代アメ車は光り輝いていたが、一方で名門老舗の淘汰が始まり生き残りを賭けた戦いも始まっていた。それは、陽が沈むようにアメ車の元気がなくなっていく前兆だったような気もする。

このメトロポリタン、全長3797㎜というから日本でも通用する小型車だが、さすがに小型エンジンを作る技術も設備もなく、英国オースチンA40用の1200㏄OHV42馬力を搭載していた。

小さくて可愛いが姿はアメリカン、チャーミングな姿で日本にも数台走っていた。代々木ワシントンハイツのアメリカ人からコンバーチブルを借りたことがあるが、当時の日本の凸凹道では、ボディーが歪みそこら中からガタピシと音が出て賑やかだったことが想い出される。

幌状態のコンバーチブル:予備タイヤを背中に背負ってお洒落な後ろ姿である