人気ではベンツと共に輸入車市場を二分するBMWだが、50年代前半のベンツは無名の存在だったし、BMWにいたっては60年代も無名だったが、オートバイマニアには知られていた。
両車を比べると、二度の大戦、二度の敗戦後で混乱はあったが、順調に経営を続けるベンツに対して、BMWの経営は波瀾万丈で、倒産の危機もあったりした。
WWIで活躍する独逸空軍用の飛行機エンジン製作で出発のBMWは、敗戦後オートバイR32で自動車屋に。不世出(ふせいしゅつ)とは”めったに現れない優れもの”と辞書にあるが、R32は正にそれ。未だに基本構造が変わらないのだから大したもの。
次にオースチンセブンのライセンス生産ディキシーで四輪車市場に。そして二度目の戦争。敗戦。が、51年のフランクフルトショーで、再び自動車屋として甦る。
このショーでは、二台のドイツ製高級車が観客の目を引いた。一台はメルセデスベンツ300(現在のミディアムサイズではない)、そしてもう一台がBMW501だった。
が、注目のBMW501は、発売後の人気はサッパリ。戦前BMW328などで評判が良かった直六OHV1971㏄が、ベンツ300より小振りとはいえ、高級車を走らせるにはパワー不足だったのである。
伝統のシルキーシックスも、絶対パワーが不足していたのでは人気が取れるはずもない。が、そんなことでへこたれないのがドイツ魂である。
戦争中に世界に先駆けてジェットエンジン戦闘機を飛ばした根っからのエンジン屋が、持てる力を駆使して生まれたのが、2580㏄のV型八気筒エンジンだった。
試作に成功の、V8エンジンはアルミ合金製で、戦後初のドイツ製V型エンジン。性能は100馬力。開発終了は54年だが、直ぐに改良して更にパワーアップを図る。
55年搭載、市販のV8エンジンは、8㎜ボアが拡大されて3168㏄になり、120馬力にアップしていた。その新V8搭載の新型は、BMW502の名で売り出された。
この一連の作業は良い結果をもたらせた。パワーアップしたV8の搭載で調子よく走るようになると、V8の高級感と共に売れ出したのである。
57年このV8は、ゼニスのキャブレターを二連装で、170馬力へと力を増す。BMW502・3.2スーパーの誕生だ。最高速も170粁へと跳ね上がる。ベンツ300の160粁を上回る高性能だった。
こうしてBMW502・3.2スーパーの人気上昇で一見成功しているかに見えたが、経営面から見る会社の経営状態は、とても成功といえるものではなかった。
姿が美しく高性能な車でも、高額な高級車のユーザーが、戦後の経済再建中のヨーロッパには多くなく、経営が成り立つほど売れなかったのである。特に敗戦国のドイツでは。
一方、300を発表のダイムラーベンツは、戦前からの170型中型車も併売しながら、堅実な商売を続けていた。で、経営バランスは良好だった。
根っからの自動車屋のダイムラーベンツと、高性能得意の飛行機エンジン屋、結局その経営者の判断と経営姿勢の差が出たのである。高性能なら金額おかまいなしの兵器産業の気質から抜けることができなかったのだろう。
専門家やマニアには評価され愛されたBMW501/2は、誕生してから10年ほどで市場から消えていった。50年代半ば会社はジリ貧に。が、合理的なドイツ気質で、思い切ったリストラを敢行。心機一転、登場したのが、なんと軽自動車だった。
イタリー生まれでユニーク発想のイセッタ。イタリーでは不評だったのを工場丸ごと手に入れて、伝統のオートバイエンジン搭載で登場したのがBMWイセッタ250。