長いこと私は東麻布に住んでいる。同じ町内に、日進ワールドデリカテッセンと呼ぶ、インターナショナルな店がある。家から歩いて2~3分。昔は日進畜産と呼んでいたように肉屋が出発点だが、宮内庁御用達の看板を見たこともある。
系統的にはヨーロッパ系のハムやソーセージのようで、特にドイツの味にこだわっているようだ。私の知人でドイツ人のミューラー、酔っぱらうとピアノでドイツ民謡を弾くオッサンだったが、ある日、そいつが日進の工場でハムの試作をしているのに出合ったこともあった。
昔は、モ少し一の橋公園よりの小さな店だった。戦争中は軍御用達だったようで、戦争中も工場は稼働し、戦後進駐軍御用達で大きく成長したと、町内の古老から聞いたことがある。
創業は大正5年と聞くが、社長は車好きだったようで、年をとってからも陸王1200のサイドカーに奥さんを乗せて走る姿を見かけたものだった。
進駐軍御用達だったからだろうか、敗戦で日本中が貧乏の時代にも裕福だったようで、自家用車があったし、後年社長になる若旦那は写真マニアで、当時著名プロ写真家でも持っていないようなドイツ製大型カメラ・リンホフで、ハムの切り口なんかの写真を撮っていたこともある。
「この職人はハムを切らしたら名人・ハムは切った途端から色が変わるので・素早くシャターを切らなくていけないのだ」
若旦那は、説明しながら、太いハムの表面から数ミリ奥にピントを合わせ、4×5(しのご)のフィルムパックを装着してからレリーズを手に、名人に「ハイッ」で、すかさず名人がバカでかい包丁で一気に切り下ろすと、シャターの音が。
「このハムの面はピントを合わせた数ミリ奥を切ったもので・太いハムを一気に同じ厚さに切れる職人は滅多に居ない」と云う。
太さ20センチ程もあったろうか、当時、我が家は貧乏ではなかったが肉は貴重品、それを「写真のためにドンドン切りやがって」と内心悔しくもあり「切ったハムの切れ端、呉れないかな」と思ったりもした。庶民は、肉に飢えていた時代だった。
肉屋に隣接する駐車場には、配達用トラックなどに混じって、乗用車が駐まっていた。近所に自家用車、それも外車など買えそうな会社も、個人も居なかったから、多分、日進畜産の自家用車だったろう。
見かけた外車はイギリス製のアルビスで、それがある時期には、2台も並んでいたのである。が、その頃は中学生、自動車は好きではあったが、マニアではなかったから、そのアルビスがセダンだったのか、クーペだったのか、思い出せないのが残念だ。
もうアルビス(Alvis)と云ったところで、判る人も少なくなった。もっとも、日本では、その頃でもマニアでなければ知らないブランドだった。私も、その車のエンブレムを読んで初めて知ったのだから。
無責任ではあるが、私が見たアルビスは、どの時代、型式なのか判らない。なにしろ、まるでよく似た姿の車が三種類もあるからだ。
その中で一番新しいタイプは、1954年型TC21/100型セダン・グレイレディー。この車は、戦勝国とはいえ、戦後の荒廃からようやく立ち直ったばかりのイギリスが誇る、最新鋭車だった(写真トップ)。
全長4626㎜、ホイールベース2830㎜。OHVの水冷直列六気筒、2993㏄、100馬力/4000回転。ボア84㎜、ストローク90㎜で、圧縮比8は当時としては極めて高い設定だ。バッテリーも6Vではなく既に12Vと斬新で、最高速度100マイルを自慢していた。(160km/h)
が、時代錯誤をしているかもしれない。というのも、見た年を正確に憶えていないし、たぶん昭和20年代だったのだから、54年登場の車というのは辻褄が合わなくなる。あとで気が付いたことだが、車のコンディションもピカピカというわけではなかった。
となると、TC21より一時代前の、1950年登場のTA21型という事も考えられる。また更にさかのぼって、1946年登場のTA14型かもしれない。ちなみにTA14型は、搭載エンジンが小さく、四気筒1892㏄だった。
以上、まるで無責任な話を紹介したわけだが、実は、この年代を置いた三種類のアルビスは、多少サイズの違いはあるのだが、遠くから見れば、まるで区別が付かないほど似た姿をしているのである。
ちなみにアルビスは、1920年に英国コベントリーに産声を上げ、1967年に市場から消えていった。1920年は大正9年、アメリカが禁酒法施行でギャング横行の時代に突入、日本ではマツダのルーツである、東洋コルク工業が産声を上げた年である。
1967年は昭和42年、世界で初めて量産化に成功した画期的ロータリーエンジン搭載のスポーツカー、マツダがコスモスポーツを発売。アメリカはベトナム戦の最中で、ワシントンに軍の指揮中枢となる国防総省本部ペンタゴンが完成、以後”ペンタゴン”と云えば、国防総省を指す言葉として通用するようになる。