1959年、イギリスにチンチクリンなミニカー誕生。その名もずばりミニ。日本ではブルーバード310が誕生して、一尾2400万円の金の鯱(しゃち)が二尾も名古屋城の天守を飾り話題になった年である。
BMC/ADO15が型式名のミニは、後にサーの称号を受ける天才技術屋アレック・イシゴニス博士が開発の傑作である。だが、ミニは、オースチン社とモーリス社が合併して誕生するBMC社以前に、モーリス社在籍中のイシゴニスが開発したものだ。
イシゴニスはベストセラー大衆車造りの名手で、前作品モーリスマイナーは150万台もの売り上げを記録した。で、次の作品がミニだったのだ。
ミニは合併でBMCに権利が移るが、オースチン主導のBMCでは、ミニのアイディアは没になりお蔵入り。それで終われば話しはお終いだが、ミニは強運の持ち主で甦る。
折からのスエズ動乱でオイルショックになり、世界中に省燃費の風が吹く。あわてた社長のレオナード卿、お蔵からミニを引っ張り出してゴーサインで、ミニは陽の目を見たのである。
ミニは省エネ抜群の廉価大衆車のはずなのに、裕福層も手を出し人気者に。また安く手軽ということでマニアが改造、レースやヒルクライム、ラリーで活躍をはじめたのである。
思わぬジャンルで人気のミニに目をつけたのがBMC自身。それではと白羽の矢を立てたのがチューニングの名手ジョン・クーパーで、完成した車にはミニクーパーの名がつけられた。
BMCのカタログに載せられ発売開始の1961年は、日本で長年にわたる女性の悩みを解決したアンネナプキン誕生の年だった。
この日から廉価大衆車は、大衆のスポーツカーに変身、いや大衆ばかりでなくスポーツカーマニア御用達のボーイズレーサーになる。
ミニクーパーの心臓は、クーパーの手で849ccから997ccへ。SU型キャブレターもシングルからツインに。で、35馬力から一挙に55馬力へと上昇。
もちろん最高速度も140kmに跳ね上がったから、ジャジャ馬制御の一環として前輪に7吋径のディスクブレーキが装備される。
ミニクーパーの国際レース初勝利は、1962年開催のチューリップラリー。もっともそれが始まりで、この年世界中のラリー、サーキットにミニクーパー旋風が吹き荒れて、なんと153回という、信じられないほどの勝利を手にしたのである。
エンジンを1071ccに強化したミニクーパーSの登場は、1993年。70馬力を得たSは、最高速度が152kmに上昇する。
戦闘力が向上したSは、伝統アルペンラリーでクラス優勝、有名なモンテカルロラリーで、念願の総合優勝を果たすのである。
勢いにのったミニは、1964年に1300Sが登場して、より戦闘力を高める。それは1275ccで76馬力という高出力で、最高速度は、遂に100マイル=160kmの大台にのる。
強い心臓を得た1300Sは、破竹の快進撃を開始して、1967年までモンテカルロラリーを連覇、王座をライバルに渡さずという偉業を成し遂げるのである。
その後もミニクーパーの快進撃は続くのだが、フェアレディZが誕生する1969年に、BMCがレイランド社の吸収でBMLCに改名するが、それが真の意味でのボーイズレーサーの終焉だった。
以後のミニクーパーは名前だけで、ジョン・クーパーの関与が全くなくなるのである。
世界初のRE搭載スポーツカーである、マツダのコスモスポーツが1967年に誕生した頃、ミニクーパー1300Sはモンテカルロラリー四連覇、もっとも油がのりきった頃で、紹介する写真は日本のコレクター所有の同型である。