【車屋四六】蒸気より遅いガソリン車・自動車より遅い飛行機

コラム・特集 車屋四六

蒸気乗用車を実用的レベルに引き上げ、世界をリードしたフランスはセルポレの若死で競争から消えたが、蒸気自動車はアメリカで順調に育っていった。

ホワイト、スタンリー、ロコモビルなどが知られるが、その中で功績から判断すれば、双子のスタンリー兄弟が第一人者と呼んで良いだろう。

スタンリーは、写真用乾板製造販売のスタンリー・ドライプレート会社のオーナー。が、自動車の将来に目を付けて、乾板の特許をコダックに売り、それを資金に自動車屋に転向したのである。

兄弟の技術は優れていたようで、第一号車の完成は1897年だが、その年の内に200台も売ってしまったというのだから、初めから完成度が高かったことを証明している。

スタンリー車に惚れ、25万ドルで特許を買ったのがバーバーとウオーカー。で、第一号車完成が1900年。そのロコモビルの評判は上々で、アメリカの全自動車保有台数が8000台という時に、4000台がロコモビルというほどの売れ行きだったという。

一方、本家スタンリーの方は、1903年売り出した新8馬力機関搭載のランナバウトが高性能で、評判は上々。が、警察や消防からもっと早いのをという要求が出た。

そこで、1904年から10馬力と20馬力のオプションエンジンを追加、その20馬力車の早いこと空前だった。で、1906年、フランク・マリオットがデイトナビーチで速度記録に挑戦。棺桶のようなボンネットの中に蒸気エンジン。現代風丸ハンドルのスタンリースチーマーの記録は、何と204.26km/hという凄いもの。

が、このマリオットさん、かなりな欲張りらしく、再度記録更新に挑戦。しかし速度が240km/h辺りまで上昇した時、突如、車がバラバラに分解してしまった。あまりにもエンジンだけが進みすぎて、車体もタイヤも、付いてこられなかったのである。

それにしても凄い記録だが、スタンリー車はその後も活躍して、1927年まで存続。一方、スタンリー特許の、ロコモビル・スチーマーの1899年型が、横浜に輸入されたのはご存じだろうか。

1899年は明治32年、日本初のビアホールが開業した年。恵比寿ビアホールと云うのに、場所が京橋区南京六町というから現在の銀座八丁目である。500㏄一杯が10銭だったそうだ。

横浜に上陸したロコモビルを買ったのは、川田男爵。北海道開拓に努力した人で、ジャガイモの有名ブランド「男爵イモ」の名が残っている。車の方は、昭和になって納屋から発見されて、レストアの後保管されているそうだ。

スピードが速いということではスタンリーがピカ一だが、高級さではホワイトだろう。1901年登場のホワイトは、セルポレのようなチューブ型ボイラーで性能の良さ、使い勝手の良さ、そして車の仕上がりの良さで金満家御用達だった。

ちなみにスタンリー8馬力車の750ドルに対して、ホワイトは2000ドルもしたそうだ。また、一回の水の補給で走れる走行距離が、スタンリーは80km、ホワイトは倍以上だったという。

ホワイトの前身は、ホワイト・ソーイングマシン会社。で、乾板屋は速さを追求し、ミシン屋は上質の追求と、車造りの姿勢が違うところが面白い。ホワイト社は1918年にクローズ。

もっともホワイトだって、遅いわけではない。1905年頃の二気筒1.5馬力・$2500の最高速は120km/h。性能と高品質が気に入って、セオドア・ルーズベルト大統領も愛用。ホワイトハウスのガレージに有ったと云うが、駄洒落ではない。

さて「飛行機と自動車とどっちが早い」などと聞いたら、今どきの小学生なら大笑い「オジサン馬鹿にするな」と云うだろう。が、20世紀の初め頃は、レースで鍛えた自動車の方が早かった。

飛行機が時速100km/hの壁に到達するのに、1910年まで待たねばならず、当時の最新鋭機ブレリオ(グノーム回転エンジン100馬力)でようやく達成された。

ブレリオの量産モデル。丸ハンドルで方向舵と昇降舵を動かす。主翼に補助翼がないから旋回は方向舵のみで行う。車輪用ストラットに伸縮ゴムのダンパーが見える。史上初英仏海峡横断成功

さて、次の200km/hの壁到達は1913年。速度記録用に開発したドペルデュサンでグノーム160馬力を装備していた。で、次の300km/hの壁は高く、ニューポール戦闘機がイスパノスィーザ・エンジンで到達したのが1929年と云うから、WWIが終わってからということになる。

だからWWI前までは、どう転んでも飛行機は自動車に勝てなかった。ちなみにバイクだって飛行機を馬鹿にしていた。ベルギーのFN・412㏄3.5馬力は、1906年に41km/hで飛んだサントスデュモンのアントアネット50馬力より早いのである。

1911年のTTレースに勝ったインディアン584㏄3.5馬力は102km/hだから、ブレリオ100馬力とほぼ同等。1913年、プジョーのバイク498㏄15馬力の速度は120km/hというように、バイクも飛行機を上回る速度で早くなっているのだ。

結局、飛行機は戦争で速くなり、自動車はレースで速くなるのだが、自動車レースの方が、戦争より始まりが早かったということなのである。

世界で初めて空力を考慮し流線型で仕上げられた速度記録樹立を目指したドペルデュサン。1913年に史上初200km/h突破。仏ルブルージェ博物館蔵