フェラーリを仮想敵として誕生したランボルギーニには、有名なエピソードがある。
第二次世界大戦/WWⅡから帰還して、農機機具会社で大儲けしたランボルギーニは、大の車好きだったから、世界最高のスポーツカーを、とフェラーリを買い込んだ。
走ってみると満足せず、不満点をご注進とフェラーリ御大に会見を申し込んだが袖にされて「それなら」というのが事のはじまり。
で、理想のスポーツカー造りがはじまったという。
そして誕生するのが、ランボルギーニ3500GTV。その車のエンブレム{ファイティングブル}は、強さの象徴である闘牛の雄牛で、フェラーリの{跳ね馬}への対抗心みえみえである。
65年/昭和38年誕生の3500GTVの対抗心はエンブレムだけではない。V12エンジンはフェラーリのOHCに対してDOHC。四輪独立懸架ということでも先行していた。
65年、矢つぎばやに登場するのがミウラ。フェラーリのスポーツカーとはまるで違う、流麗斬新な姿はベルトーネの手になる、コーチワークだった。(小生66年にローマで試乗その早さに驚いた)
我々には親しみが持てるミウラ・有名な香水ゲランの{ミツコ}の例もあり、美女{三浦}を連想したりしたが、じつはスペイン闘牛の中で、最も獰猛な牛の種族なのだと説明された。
ランボルギーニは更に追い打ちを掛ける。71年のジュネーブショーで披露したのが精悍な姿のカウンタックLP400(V8DOHC)。
誰もがビックリの、近未来的な姿から、ショーモデルと思っていたら、73年市販開始。その当時の日本は昭和46年、石油ショックのあおりで、狂乱物価の波にもまれていた。
全長4040㎜、全幅1800㎜、全高1070㎜。車重1130kg/LP500。V8DOHC・375hp/8000rpm。最高速度300km/hは公表で、歴代295km/hというのが実情のようだ。
横置ミドシップで問題を抱えたミウラの反省か、LP500では縦置にしたのでV12 からV8になるが、オーバーヒート対策で74年にLP400になって、再びV12への復活を果たす。
ちなみにLP=ミドシップ、そのあとの数字は気筒容積を表す。
カウンタックをガルウイングと云う人が多いが、上下に跳ね上げる型ではないから間違い。正しくはスイングドアかバーチカルドアと呼ぶようだ。トヨタのセラも自称ガルウイングだったが。
また、どうやらカウンタックは日本独特な発声で、イタリーでは{ケンタッシュ}美女に出会った時の感嘆詞のようだ。
その後、カウンタックは、徐々に磨かれ進化をくりかえし、82年には4.8ℓ・375馬力を搭載したLP500Sを発表、ついで85年の5000QVと88年の誕生25年アニバーサリーモデルには、5.2ℓ・455馬力が搭載された。
初代カウンタック・シリーズは、81年に誕生し、90年にディアブロにバトンタッチして、その生涯を閉じる。
が、日本で昔はやった{スーパーカー}といえば、カウンタックを指すほどの代名詞的存在となって、若者や子供の人気者としての果たした役割も見逃すことが出来ない。