【車屋四六】マークⅡ・1968

コラム・特集 車屋四六

1960年代後半、日本の大衆車市場は、宿敵ブルーバードを蹴散らしたコロナが頑張っていた。その王座に就いたのは、1964年に登場した三代目コロナだった。同年日本では、衛星経由で日米間TV中継が可能に。東京オリンピックを引金にカラーTVが売れはじめ、普及始まりの年だった。

翌1965年、コロナに日本初のハードトップが誕生する。

ハードトップでは日本初登場のコロナ・ツードア・ハードトップ

次いで1968年、ユーザーの上級志向に応えて、コロナより上等なマークⅡが誕生する(現在マークXに進化)。

こいつはコロナの上級というよりは、クラウンとコロナの間を埋める、新中級ブランドの誕生ととらえた方が良い車だった。

当時クラウンは法人御用達の高級車だったから、マークⅡは個人ユーザーを狙った最上級車種という住み分け。まだカローラ誕生前だから、当時コロナの位置づけは大衆車だったのである。

マークⅡは全長4295㎜、全幅1605㎜、ホイールベース2510㎜・車重970kg。1600DXの値段が63万5000円。ちなみに7R型エンジンは1591cc、当時では10という自慢の高圧縮比で85馬力、最高速度も時速150kmと高性能が誇りだった。

トヨタの最上級クラウンは、5ナンバー枠一杯に仕上げられ何処か寸詰まり的雰囲気があったが、法人御用達無視のマークⅡの姿はのびのびとして、それも個人ユーザーからは好評だった。

が、当時の日本車では大柄で、装備も上等、輸入車を凌ぐ部分も登場して、しだいに裕福層のオーナーからの信頼を得ていった。

「日本車なんか」「舶来で無くっちゃ」という日本車を馬鹿にするユーザーがたくさん居た時代だが、そんな連中の一部がマークⅡに鞍替えする姿も、しばしば見掛けるようになった。

マークⅡが登場した1968年=昭和43年で、急速に増加するカラーTVが遂に100万台を突破した年。で、もう大丈夫と判断したのか、NHKが実施したのはカラー受信料を新設して、徴収開始。

「ウチのTVにゃ色がない・隣のTVにゃ色がある」エノケンの皮肉なCM画面に「この放送はカラー放送です」と嫌みなテロップが昭和30年代に出て、昭和40年代に入ると、放送もカラー主体に変わっていった。

ちなみに1960年、1日のカラー放送時間は1時間30分だったが、1968年では4時間31分に、マークⅡ誕生の1968年になると実に12時間36分も放送に色が付いていた。

69年、マークⅡに高級バージョンの1900SS登場。アポロ11号月面着陸は宇宙TV中継の実現で、47カ国6億人の目がTV画面に釘付けになった瞬間だった。

が、アポロ11号の放映は7月だが、同じ年の12月に月面に着陸した12号からの映像は、なんとカラーだったのだから、技術の進歩とは恐ろしく早いものである。