サウンドofミュージックとくれば、女優ジュリー・アンドリュース。映画は、第38回アカデミー作品賞に輝いた名画である。
彼女は、学校教師とピアニストという父母から生まれた英国人。そして再婚した母の伴侶がショー芸人だった。1935年生だから、オードリーヘップバーンとは、同じ年ということになる。
そんな環境で育った彼女は、12才でレビューの子役で初舞台。順次、歌と踊りでショービジネスを身につけていく。
1954年渡米。ブロードウエイで主演の“ボーイフレンド”が1年半のロングラン。1956年次の“マイフェアレディー”が大当たりしたのは。20才の時である。
余談になるが、渡米中の川又日産社長がこれを観劇し、いたく感激、日産フェアレディー命名のきっかけになった話は有名だ。
日本で洋画“グレンミラー物語”や“ダンボ”が封切られた年だ。
さて、映画“サウンドofミュージック”は65年の作品。時代は第二次世界大戦直前の1938年の頃。主人公フォン。トラップ男爵の愛車が1935年型メルセデスベンツ500Kという設定である。
1935年=昭和10年。日本で話題の洋画は“未完成交響曲/オーストリア”“モダンタイムス/チャップリン”“舞踏会の手帳/仏/ルイジューベ”また少女ディアナダービン主演の“オーケストラの少女”。
内務省が映画内容制限を施行、検閲強化の年でもある。
映画登場の500Kは1935年だから、修道女マリアで登場するジュリーと同年齢である。
500Kの誕生は1934年。搭載5ℓエンジンは100馬力だが、アクセル全開でスーパーチャージャーが稼働、出力が160馬力に跳ね上がり、時速160kmで巡航可能という高性能車だった。
で、500Kの馬力表示は、100/160馬力と二段階表示される。
500KのKはコンプレッソール=スーパーチャージャー装着を表し、いまでも230SLKというような使われ方をしている。
500Kの前身は1934年誕生の380K(90/120馬力)最高時速140kmだが、パワー不足の評判で500Kに進化するのだが、さらに1936年には、540Kへと進化する。
540Kは、115/180馬力で、最高速度も180粁へと跳ね上がる。
このKシリーズの評判は良かったが、第二次世界大戦突入で生産が止み、好評判のわりには短命なシリーズとなる。
映画の筋は、ナチがオーストリアに進駐してきたことから、トラップ家当主は七人の子供と家庭教師マリアを連れて、スイスへ脱出という物語だが、メルセデスの500Kとともに、シトロエン・トラクションアバンなど嬉しい車が走り回るのだから、車好きには応えられない映画だった。
映画の時代は1938年。日本も支那事変突入、真珠湾攻撃寸前で暗雲たれ込み始めた頃。軍国主義全盛、軍人官僚が威張りまくり、逆らえば非国民と罵られたりしたが、まだ外国映画を楽しむことができたのが不思議だった。