【車屋四六】ジュリエッタは素晴らしいレーサーだった

コラム・特集 車屋四六

わたしの青春時代は日本が敗戦貧乏だった頃と重なったから、戦争中“贅沢は敵”と洗脳された記憶が残り、近頃流行の省エネ/省資源などは、云われなくとも昔から無意識に実行している。“もったいない”という意識が頭からはなれないのだ。

私がジュリエッタに出会ったのは、マツダコレクション。わずか1300ccで200㎞も出る、ちっぽけなスポーツクーペに憧れたのは、日本にマイカー時代が始まる直前、昭和30年代後半の頃である。

だから外国の車雑紙で見て憧れた実物を、目の前にしたときの感激は格別だった。ジュリエッタのネーミングは、有名な劇作“ロミオとジュリエット”に由来すると聞く。正しくはアルファロメオ・ジュリエッタ・スプリント・ザガート(写真下)と長たらしいが、終わりの二項目はSZで通用する。

WWⅡ以前のアルファロメオは、世界のレース場を荒らし回ったモータースポーツ界の名門である。戦後は生き残りを掛けて量産メーカーになるが、ジリ貧になり、今ではフィアット傘下になる。

ロッソビアンコ自動車博物館というと、いかにもイタリアらしき名の博物館だが、実はれっきとしたドイツの博物館で、車は現役時代に欧州を駆け回ったバリバリのレーシングカーの写真。

カロッツェリア・ザガートでハンドメイドされた流麗ボディーがアルミ製らしく、785kgという軽量仕上げ。そして直四DOHC1290ccはウエーバーWチョーク40DCOEキャブ二連装と高い圧縮比9.7で100馬力を、6500という高回転から絞り出していた。

ロッソビアンコのSZは61年製で、173台が市場に出荷された。ちなみに36台しか出荷されなかった62年製は、ダックテイルが別称のコーダトロンカで、切り落としたようなテイル形状で空力特性が改善されている。

恒例ここらあたりで脱線話だが、後期型SZが生まれた61年は昭和36年。97年のNHK朝の連ドラは“あぐり”で、母親役の星由里子が、女優として初の主役抜擢が61年だったのだ。

当時17才の可憐な新人女優は、長じて“細腕繁盛記”などで知られる劇作家花登筺(なはとこばこ)と結婚するが83年死別。
星は53年東宝シンデレラコンテストに優勝。翌年銀幕デビュー。そして61年“大学の若大将”第一作で加山雄三の相手役に抜擢が、スター街道のスタートでもあった。

大学シリーズで準主役の江原達治は本紙で何度も紹介したことがある。日本ベストドラバーコンテスト第三回優勝者だからだ。わたしが第五回優勝者ということもあり、自動車のイベントでは親しく付き合った仲である。

さて、小さなエンジンで高いパフォーマンス、しかも安い値段ということで魅力一杯のSZも、ライバル達の性能が上がるにつれて自身もと、63年にジュリアと名を変えて、1600ccエンジンを搭載して戦力アップするが、その活躍はまたの機会に。(写真右:1928、29,30、連続ミレミリアレース優勝/32年タルガフローリオ優勝を誇らしげなアルファロメオ社のポスター)

ちなみに、ジュリアとは、ジュリエッタの姉ということだそうだ。