【車屋四六】セリカXXリフトバック

コラム・特集 車屋四六

63年3月6日付け本紙に初代セリカについて書いたことがある。

初代の誕生は70年=昭和45年だが、その頃の日本は、敗戦の痛手からどうやら立ち直りが感じられるようになった頃だった。

昭和41年にサニーやカローラ誕生、長年の夢のマイカーが一般家庭にもやってきた頃である。もっとも憧れは未だアメ車で、なかでもフォードのスポーティーカー、ムスタングが人気者だった。

70年登場の初代セリカは、当時はマスタングではなく、ムスタングと呼んだ憧れにそっくりだったこともあり、すぐに人気者になった。「男みたいな声の女の子」と話題の和田アキ子の♪笑って許して♪が流行っていた頃である。

73年、麻丘めぐみの変わった題名“私の彼は左利き”が流行った頃に登場した、セリカのリフトバック型は、さらにムスタングにそっくりな姿で、セリカファンを増やしていった。

昔の諺「のど元過ぎれば熱さを忘る」は我々が持つ悪習慣でもあるが、無茶苦茶に働き続けて敗戦後わずか20数年で貧乏から脱出したばかりなのに、もう贅沢が芽を出しはじめて、セリカのようなスペシャリティカー望まれる時代になったのだから驚きである。

77年は♪SOS♪渚のシンドバッド♪ウォンテッド♪など、元気のいい二人娘ピンクレディーが大人気の年。フルモデルチェンジしたセリカは、初代人気を引き継ぎ、更に人気は上昇した。

そんなセリカに豪華なXX(ダブルX)を追加したのが78年。

♪微笑みがえし♪の人気を最後に「普通の女の子になりたい」と、コンビ解散引退したキャンディーズが話題になった年だった。

登場したXXは5ナンバーもあったが、白く長くバタ臭い姿で3ナンバーのリフトバックが人目を引いていた。Bピラーに黒く光るプラスチックの板が、何か斬新でステイタスさを生み出していた。

3ナンバーにふさわしい2563ccは日本製では大排気量で、直列六気筒も憧れ。SOHCも斬新だった。140馬力は文句ない高出力で、ATもOD付四速型という最新鋭、それにパワーステアリング、エアコンと揃えば、文句なくゴージャス気分だった。

頭上に青空が広がる電動サンルーフ、わたしの記憶が確かなら、XXのが、日本初登場のはずである。

そのころ昭和40年代から始まった大衆車時代も、カローラやサニーが年々上級化したせいで、その下を埋める車が必要になり、ミラージュ、パルサー、スターレット、ターセル、コルサなど、廉価版小型大衆車が登場する。

反面、昭和53年=78年頃になると、RX-7やフェアレディーZのようなスポーツカー、そしてプレリュードのようなスポーティーカーなど、セリカと競り合う車達も登場する。

優れた企画と時流にのって人気者に成長した二代目セリカが三代目になった81年、歌謡界では一世風靡ピンクレディーの時代が幕を閉じ、日本劇場をファンが取り巻いた“日劇ウエスタンカーニバル”も幕を閉じた。