世界には、メルセデス・ベンツ、レクサス、ジャガー、BMWなどが人気の、高級車市場というのがある。
さらに、その上には、ロールスロイス、ベントレーなどが君臨する、超高級車市場もある…トヨタ・センチュリーも、これに属すると思う。
ちなみに、英国の象徴だった、この二車は、今ではドイツのブランドになってしまった。
かつて、この二車は、ロールスロイス社=RRが造っていたから、兄弟だった…その会社がジリ貧になり、買収に成功したのがダイムラー・ベンツだった。
で、ベンツは上位モデルとして、この二車を考えたようだが、そうは問屋が卸さなかった…RRの商標権は別で、所有権がビッカース社にあり、それを手に入れたのが、BMWだった。
で、RRがBMW、ベントレーがベンツという構図が完成した…困ったのはベンツ。RRで超高級車市場を押さえるという目論見が、はずれてしまった。
また、それまでの世界の常識では、ショーファードリブンの高級車はRR。ベントレーは、スポーティーなオーナードリブンだったから、ベンツがいくら頑張っても、この世間の常識は変わらぬということだった。
で、思案の結果は、RRの対抗馬として、戦前の高級車マイバッハの復活だった…幸いなことに、マイバッハの商標権は、ベンツが保有していた。
マイバッハは、ダイムラーの助手として、数々の名車を開発したが、合併後にベンツとの兼ね合いが悪く、独立してツェッペリン飛行船の発動機を造り、後に高級車マイバッハを開発しものだった。
1921年に、誕生したW3型は、直列6気筒サイドバルブ・5.5㍑70馬力の、大型高級車だった。
W3の心臓は、昔の車らしく、ボア95㎜に対して、170㎜という超ロングストローク…さぞかし低速トルクが大きかったろう。
このエンジンはサイドバルブだったが、1926年になると、6995cc・OHV・140馬力になった。
写真のマイバッハ1938年型は、ラスベガスのインペリアルホテルという賭博場の五階にある、自動車博物館で見つけた。
このW38型は、1935年から1941年までの6年間活躍したが、ドイツの敗戦で、会社は消滅した。
が、マイバッハの商標権は、ダイムラーベンツが持っていたようで、RRに対抗する超高級車が必要になったことで、よみがえったのだ…マイバッハとはライバルだったベンツの手で、マイバッハが復活する、不思議な縁だと思う。