グランドキャニオンでSLとネオンに

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ラスベガスのインペリアル自動車博物館で、プレスリーのキャデラックやデューセンバーグを堪能した翌朝、旅の目的である念願のグランドキャニオンに出発した。

サックス奏者で仕事がない日は観光案内という親切な日本人ガイドの手配で変更になった、単発セスナ207スカイワゴンは7座席。前から操縦士、イタリアの三人家族、名古屋の新婚夫婦、そして私。一瞬最後尾席かとガッカリしたが、独り席なので側に荷物が置けて撮影には両側の窓が使える、ラッキーと思い直した。

セスナ207スカイワゴン/於グランドキャニオン空港:全幅10.93×全長9.68m・コンチネンタルTSIO-520空冷水平対向6気筒8500cc・300馬力・最高速度300km/h・巡航速度240km/h・7座席/右は本来乗るはずだった双発セスナ404の客室部分。

操縦士が急病になっても、これなら操縦できるが前席までたどり着くのが大変などと余計な心配をしながら、窓際のジャックにプラグを差し込み、表示を日本語に合わせると案内が聞こえてきた。

途中、1000m強の高度で、有名なフーバーダムなどの写真を撮り続けて、2時間弱でグランドキャニオン空港に着陸した。人なつこく近寄るリスのかわいい目を見ていたら「餌をやったりして噛まれるとエイズのようになる」とガイドに注意された。

コロラド河が、河底を1年間に2㎝ずつ削って4000万年、1600mの高低差ある峡谷グランドキャニオンの展望台からの眺めは天下の絶景。はるばる日本から来た甲斐ありと感服した。削られた断崖に露出する地層20億年分、その下流に貯水量500億立方メートルのフーバーダムがある。

著名なブライトン・エンジェルロッジで昼食後に街を散策すると、立派なSL(蒸気機関車)がいる。1901年に終着駅グランドキャニオンまで開通したサンタフェ鉄道だが、SL音痴の私には機種がなんだかどこから来たのかわからない…御容赦を。ちなみにSLの背景エルトバンホテルは、昭和天皇皇后が親米旅行中の宿泊先と聞いた。高級な人気ホテルなので、よほど前からでないと予約が取れないという。

昭和天皇皇后宿泊の名門エルトバンホテルとサンタフェ鉄道の蒸気機関車:日本製機関車のように排煙を上に吹き飛ばす頭部両側の誘導板はないが、真鍮製のベルで古き良き時代を思い出す。

1995年当時、我々の話題は、日本車キラーとの期待で登場した、GM・サターンとクライスラー・ネオンの日本上陸だった。そのネオンを町の駐車場で見つけた。両車の日本上陸は、ネオン96年、サターン97年だから、ネオンの実車拝見はラッキーだと思い、写真を撮った。

グランドキャニオンでクライスラー・ネオン/1994年誕生:全長4390×全幅1715×全高1420㎜・直4 1996cc・133馬力・3AT/5MT/日本車キラーの名で日本発売は96年・結果は敗退。

初対面の印象:姿は日本人好みじゃない、質感も良くない、これじゃ売れないだろうだったが、結果はそのようになった。

見物が終わってラスベガス空港に着陸すると、操縦士が「小さな飛行機なのでこわかった?」「いや私はパイロットだよ」で少し落胆顔だったが、私のセスナ201ターボの写真を見せると「いい飛行機だね、日本に行くから雇ってよ」と…明るい好青年だった。

ロス空港での最後の女性ガイドは「次はもう少しグレードの高いツアーで」といってくれたが、最初の男性ガイドの機転で旅行を満喫できたので、Carセンサーの女性編集員・藤岡さんには感謝している。

今度の旅を世話してくれた藤岡さんには、日本人町で買った野茂英雄のTシャツをあげたら喜んでくれた。1995年ドジャース入団の野茂は、大活躍大人気で、野茂グッズがたくさん売られていた。

(車屋 四六)

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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