ラスベガスでプレスリーとデューセンバーグに

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1995年の夏、ふと思い立ってラスベガスに行った。商売柄、自動車関連で世界各国に行くが、ノンビリと個人で観光旅行をしたことがないと思ったので。当時、リクルートのCarセンサーに昔のクルマ解説を連載中で、その担当女性に話したら「任せてください」と手配してくれたのがHISの団体旅行。嬉しい彼女の親切とは裏腹に、十代・二十代の女性ばかりの中に、ジジイがポツンと一人、孤独な旅を覚悟した。

ロス空港からまず到着したのが免税店なのでスキップ。初めての日本人町を一人歩きで見物してから、有名なヨットハーバー、マリナデルレイのベンチで海や船を眺めていると、暇なガイドがやってきた…まだ30分ほどは買物タイムらしい。

ロスの日本人町:風月堂やキャノンサービスなどの看板が/クルマはボルボ244/1974~93年というロングセラー・T/T283万台。欧州ツーリングカーレースで活躍し「空飛ぶレンガ」と呼ばれた。

「アメリカは初めて?」「いや何度も」「じゃ着いたばかりで買い物でもないですね…」「ところであれは高級なホテルです」「リッツカールトンは昨年泊まりました」と、このあたりでガイドも理解したらしく「よろしければ団体から外れて単独行動に変えましょうか?」で、ホッとする。

最初の夜はハリウッド。団体から外れたのでホテルは、小さくて、少し親切? というのも、支配人が「今晩は裏の従業員出入口から出ればインドネシア独立記念パーティ会場…黙って座れば、料理も出るしショーも見られる」の入れ知恵で25ドルもうかった。タダで南国情緒を堪能してから床についた。

翌朝、ロス空港で「これからは単独です」と渡された航空券で着いたラスベガスの日本人ガイドは「自動車評論家でパイロットと聞いたので自動車博物館見物、グランドキャニオンへは双発機ではなく単発セスナにしました」と、なかなか気が利く人物だった。「私はサックス奏者だが仕事ない日はガイドです」と言う。

インペリアルホテルの1階はカジノ、5階が博物館で、圧巻は最高級と折紙付きのデューセンバーグが20台余も並ぶ特別室だったが、一般展示200台中の1台に目が止まった。ナンバープレートにELVISと書かれたプレスリーのキャデラックだった。

1977年没エルビス最後の愛車キャデラック・エルドラードクーペ1976年型/購入価格15,616ドル:8194cc・300馬力V8搭載で史上最大のFF車と呼ばれた。ナンバープレートに1-ELVISの表記。
デューセンバーグ1931年型/インペリアル自動車博物館ラスベガス。

カジノ経営のクルマ好きオーナーが、潤沢な資金で集めた銘車の数々を堪能して、夜はフラミンゴホテルで食事付きディナーショーを楽しみ、部屋では機内販売の森伊蔵で独り乾杯して眠りについた。

翌日、念願のグランドキャニオンを満喫してベガスに帰り、街を散策すると見知った顔に出会った。といっても知人ではない。当時売れっ子アイドルの山瀬まみのCM撮影中だが、周囲の人達は見知らぬ東洋人には興味もないらしく素通りだった。

ベガスといえば、博打の街との暗いイメージは大通りを歩いて吹き飛んだ。大きなホテル前には大仕掛けが楽しい出し物が並び、子供連れの家族が歩いている。街中がディズニーランド、明るく楽しい街だと、それまでの認識が一変した。

2軒ほどの賭博場に飛び込み、スロットマシーンにも取り組んだがたちまちスッテンテン。マカオやドイツなどこの博打場でも負け戦という習慣が相変わらずで、夜はナイトショウを見て就寝。

翌日、ロス空港免税店で土産品を詰めようと買った引きずる小型バッグは、前年シンシナティで買って気にいったショルダーバッグと同じアメリカのブランド品、ハートマンだった。

(車屋 四六)

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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