片山豊よもやま話-14

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片山さんは、アメリカでの市場調査報告をしながら、いよいよ本格的販売開始をと組織作りを始めたある日、自動車ショーで熱心にブルーバードを見る白人に声をかけると、後日会いたいという。

「私はルノー販売の総支配人だが日産車に興味があるので鞍替えしてもいい」…人物を観察しながら話を進めると、何となくピンとくるものがあり、ふと見ると指輪がフリーメーソンで役員という…こいつは真面目で信用できると、採用を決めたという。後日、片山さんの決断は大当たりとわかったそうだ。

東京タワー隣接東京フリーメーソンの本拠、マソニックロッジ門前の紋章は石工がルーツらしくコンパスと定規:600万人といわれる会員は国王や大統領、役人、政治家、財界人、芸術家など各分野で指導的立場にある人物多数。

ちなみにフリーメーソンとは数世紀前、石工がイギリスで旗揚げした秘密結社といわれ、世界の政治や戦に影響を与える組織となる。会員には数世紀にわたり、各国皇帝や王、大統領など多数。思いだすままに並べてみよう…ナポレオン、カイザー、ワシントン(初代アメリカ大統領)、ルーズベルト(第26代、第32代アメリカ大統領)、トルーマン(第33代アメリカ大統領)。フォード、クライススラー、シトロエン。チャイコフスキー、モーツアルト、ブラームス、リスト、プッチーニ、シューベルト。マッカーサー、チャーチル、リンドバーグ、エッフェル、マルクス、スタンダール、ハイネ、ダーウイン、トルストイ。ジョン・ウエイン、カーネル・サンダース等々、

日本では、東京タワー近くの元帝国海軍の社交クラブ、水交社を占領軍が接収して東京マソニックロッジ誕生。本稿初期登場の親しかったスチュアートさんがプレジデントだった。古くは長崎名所グラバー邸の主グラバーも会員。鳩山一郎は有名だが、世界的木琴奏者、平岡養一会員の乃木坂の自宅でごちそうになったこともある。

フリーメーソンで東京のプレジデントだったO.R.スチュアートと娘の三春/1940年頃:フィラデルフィアの名家出身/戦中は太平洋地区マッカーサー直属の会計監査の軍属だが少将待遇/愛車はジャガーだった。

秘密結社というと裏社会という感が強いが、モットーは「全人類兄弟愛の実現」だそうで、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、ボーイスカウトなども、ここから派生したといわれている。

さて、脱線した話を戻そう「本格的にクルマを売るなら、商社任せではなく自前の会社が必要」と進言した片山さんの要請は、予想外に早く3カ月で決済され、1960年秋に米国日産自動車が誕生した。

社長は石原俊輸出部長。副社長が片山と東部担当の川添。東京本社の希望はニューヨークに米国本社をだったが、片山さんはパナマ運河経由で運ぶ東部では駄目。年中晴天で地価も安い西部から徐々に販売の輪を広げて行くべきと押し切り、ロサンゼルス郊外にクルマが100台ほども置ける土地と倉庫を借りて、後年大きな本社ビルを建て「NISSAN」の大看板をあげ念願を果たしたのである。

米国本社とダットサンZと片山豊:所在地ガーデナはロス中心から15㎞ほどの郊外で、市街と港の中間地点/後に他社も輸入業者もこの地域に引っ越してきたそうだ。

やる気のある中古車販売店が少しずつ増えて、売上げも徐々に増えたが、アメリカ人が日本車に二の足踏むのはわかるが、期待していた在米日本人、日系アメリカ人が振り向かない。例えば、日系に多い庭師に安くて好燃費とトラックを薦めても、駄目なのであきらめたといっていた。

同様なことが日本でもあった。三菱からの技術学習で立派になった韓国現代が、日本市場から撤退したのも同様な理由から。品質も装備も日本車に劣らず値段も安いのになぜ? と思った…が売れない。在日韓国人がたくさんいるのにとも思ったが、これも駄目。結局、虎ノ門の一等地にあったショールームを閉めて撤退した(注:現代=ヒョンデは22年5月、電気自動車と燃料電池自動車のオンライン販売で再び日本市場へ参入)。

が、ちょっとやそっとではへこたれない片山さんは、アメリカ市場の開拓を続けるが、そのモットーは「先ず販売店がもうけなさい、販売店がもうかれば私達ももうかるから」ということだった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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