日本には記念すべき初代一号車を保存する自動車会社は少ないが、世界の老舗は反対である。そのほとんどは門外不出なのに、北欧の珍しい一台がトヨタ博物館にはある。そのサーブ92は、2000年/平成12年にサーブから寄贈され、その寄贈式写真には、左から山田耕二学芸員、山本厚夫館長、サーブ・アジア地区支配人P.ルフリ、日本GM佐藤満社長が…この頃のサーブはGM支配の完全子会社だった。
SVENSKA AEROPLAN AKTIE BOLAGET…スエーデン語で読めない社名は、スエーデン人にも長すぎたようで、頭文字でSAAB。直訳すればスエーデン飛行機会社というだろう。
永世中立国宣言のスエーデンは、戦争で輸入が途絶えると困る兵器を自前でと、1937年に設立したのがサーブだが、終戦で需要が減少すると、自動車を加えて、二足のワラジを履いたのである。そんな自動車部門がGMに渡ったのだが、飛行機部門は健在で今でもジェト機を造りを続けている。
スエーデンには戦前からの老舗ボルボが存在するので、後発のサーブは終戦直後ということもあり経済的小型車に的を絞った。で、車造り学習で独DKWを選んだので、50年に完成発売したサーブ92は、当時珍しい前輪駆動/FWDで、機構はすべてDKW丸写しだったが、さすが飛行機メーカーらしく空力に優れ走行性能も高いレベルに達していた。
サーブでは初めての自動車開発だったが、開発主任G.リングストロームは英ローバー社育ちでFWDの信奉者。加えてボディー担当のS.サーソンは元々飛行機屋だから空力とモノコック構造と軽量化は得意分野という恵まれた環境から初代が誕生したのである。
見るからに小柄で非力だが走れば機敏で、開発技術者R.メンデルがスエーデンラリーで優勝。56年進化した93は、三気筒941cc・42馬力…向上した戦闘力でラリーに活躍。さらに進化した96は、世界のラリー界でスターを誕生させたのである。
のちにラリー界の大スターになるエリック・カールソンも、62年、63年と過酷なモンテカルロラリーに連勝、60年~62年の英RACラリーにも三連勝という偉業を成し遂げた。その頃のサーブは、キャブレター三連装で、前輪には当時斬新だが飛行機では常識のディスクブレーキを装備していた。
サーブが生み出した、傑作92シリーズは進化しながら67年の99まで、30年間という長年月を活躍し続けたのである。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。