瑞典サーブは飛行機屋だった

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1937年創業のサーブはSvenska Aeroplan Aktiebolget=スエーデン飛行機製造会社だから飛行機屋である。永世中立国の国策上、専守防衛で自国製飛行機が必要で、以前紹介したB17型攻撃機を開発したが、WWⅡの終戦で兵器需要が減退し自動車の開発を始めた。
誕生した自動車は、初作品なのに型式名{92}…変だと思ったら戦中最後の飛行機91サファリの後がサーブ92だったから。

さて飛行機の40年登場のB17登場の次のB18は双発・双尾翼の攻撃・爆撃・長距離偵察機で時速600km、スエーデン製ダイムラーベンツDB605B・1475馬力二基と強出力で、20㎜機関砲二門、爆弾・大型魚雷・57㎜砲なども搭載可という重装備型だった。

次のJ21は終戦間際のため実戦配備が少数だったが、サーブらしい独創的戦闘機だった。命中率が高い機銃を機首に装備のためにDB605Bを後部に搭載する推進型双尾翼機だった。
時速640kmを誇り、20㎜機関砲一門、12.7㎜機銃四門を機種に搭載していた。脱出操縦士が後部プロペラに衝突を避けるため、スエーデン初の脱出用射出座席装備が開発された。

J21の総生産機数は298機と少なかったが、発動機を英デハビランド製ゴブリンジェット・推力1360kgを換装したJ21Rが47年に登場したが、これがサーブ初のジェット戦闘機だった。

サーブJ21型単発双胴双尾翼多目的戦闘機:1945年就航・当初米プラット&ホイットニー空冷星形が出力不足でダイム-ラベンツDB605Bをライセンス生産で搭載。

J21-Tunnanのトゥンナンとはスエーデン語で樽。全長10.05x全幅11.6m・最高速度800km・航続距離900km。コンゴ動乱では国連軍として11機が出撃し、攻撃と偵察で大活躍したが、帰国したのは4機だった聞いている。

さて、サーブの軍用機は、このあとJ32ランセン・J35ドラーケン・JAS37ビゲン・JAS39グリペンと発展を続ける。
途中、小型のプロペラ型旅客機やターボプロップ旅客機も開発販売し、数機が日本にも輸入され、日本エアコミュータや北海道エアシステムなどのほか、航空局や海上保安庁にも納入されたが、ボンバルディア、エンブラエルなどライバル機登場で撤退した。

ミサイルや兵器や飛行機で活躍を続けるサーブ軍用機の特徴は、B17以来共通の一機で多目的というのは、永世中立国でしかも小さなお国柄ゆえに、自前調達が必要ということからなのだ。
グリペンの型式名JAS=スエーデン語でJact=戦闘・Attack=攻撃・Spaning=偵察…一機種で他用途に使える多目途機は、コスト低減で高いコストパフォーマンスを得るために、航続距離やステルス性という面でも妥協しているのも大きな特徴だ。

冷戦時代のソ連、国境が隣接する欧州で、不意の攻撃に備え山中のトンネルに機体を隠し、いざという時には高速道路の直線部分800mで離陸可能という短距離離陸性も軍からの要請と聞く。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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