【車屋四六】ティーザーキャンペーンの元祖

コラム・特集 車屋四六

“三度目の正直”という諺があるが、今回はダ洒落で”三代目の正直”という話である。

昭和20~30年代の頃、乗用車市場でのナンバーワンは日産。それが目の上のタンコブだったのがトヨタ。目の上のタンコブとは、太平洋戦争前から小型の代名詞だったダットサン。とにかく、こいつをやっつけなければとトヨタは考えた。

話は変り、以前触れたティーザーキャンペーンを御記憶だろうか。本物登場前に、何かをほのめかしながら客の想像をかき立てる宣伝手法の一つである。

英語でストリップティーズは、日本語ならストリップショー。その踊り子はストリッパー。英語でTEESEとは”じらす、からかう”と辞書にある。

音楽に合わせて、一枚一枚時間をかけて脱いではいくが、男どもが見たいところは、なかなか見せずにイライラさせるのが踊り子の腕。もちろん魅力的姿態も人気に影響するが。

そんなジラシ戦法を一時得意としたのが日産。が、記憶で元祖はトヨタだったと思う。市場にはびこるダットサンの売れ行きを、俺たちの新兵器登場まで、なんとか食い止めようとの手段で使われたのが、二代目コロナ登場の直前だった。

この頃は日産をトヨタが追いかける立場。後に日産が好んだ頃には立場は逆転して日産が追う立場に。自動車業界では、追いかける立場には重宝な宣伝方、と云えば格好良いが、本当はワラにもすがりたい気持ちの表れという気もする。

トヨタvs日産の緒戦は、ダットサンの猛威を少しでも食い止めたいのが初代コロナ。が、急ぎ働的仕上げのコロナでは、伝統のダットサンにはかなわず、緒戦はトヨタの敗戦。

本当は対ダットサンの新兵器は既に開発中だったが、その完成を待ってはダットサンのシェアが拡大する。で、何とか勢いを食い止めたい一念で、生産中止のマスターのスタイリング、部品を流用し急造したのが初代コロナだから、本来初代のはずのコロナが、二代目を名乗ることになる。

で、二代目登場直前に問題のティーザーキャンペーンを。が、不幸の星の元に生まれたのが二代目。開発コンセプトは”打倒ダットサン”。が、産声を上げた時には仮想敵ダットサンは居ず、待ちかまえていたのがブルーバードだったのだ。

後の世に名車とうたわれる小型車の傑作ブルーバード相手では、打倒ダットサン目標のコロナで勝てるはずもない。残念ながら、二代目の一生も惨めなものとなる。

さて”転んでも只では起きない”という諺は、トヨタに当てはまる。初代、二代の失敗を踏み台に完成した三代目は、スタイリングは二代目のキープコンセプトながら、斬新だがキャシャで弱々しい二代目に対し、骨太に変身していた。

1966年タイ:バンコク見物が終わり空港に向かうフレンドシップハイウエイの対向車線を走るコロナ三代目。当時は「日本の車」と感激したものである

スタイリングを名付けて”アローライン”。顎がしゃくれた独特な風貌に、早速”豚ッ鼻のコロナ”というニックネームも生まれたが、こいつは揶揄ではなく愛情表現だった。

全長4085x全幅1550x全高1420㎜。車重945㎏。前Wウイッシュボーン/後リーフリジッド、四輪ドラムブレーキ。新開発2Rエンジンは、直四OHV,1490㏄、70ps/5200rpm、11.5kg-m/2600rpm。

ブルに負けた二代目コロナは、悪路を走り回るタクシーからの”コロナは弱い”の悪評に付きまとわれた。その悪評を消し、強いコロナのイメージ造りのためには、頑丈を実証してみせることだった。

完成直後の名神高速道路を、三台のコロナが走り出す。昼夜ブッ通しで一宮と西の宮間を時計の振り子のように往復すること実に276往復。二ヶ月間で連続走行10万粁「サァどうだ」とばかりに高速性能と頑丈さをアピールしたのである。

一夜明けて悪評は去り、客の信頼を取り戻した三代目は、発売後四ヶ月ほどで悲願を達成した。ブルーバードの売り上げを抜いて、市場のトップに躍り出たのである。もっとも、二代目ブルーバード410のイタリアン姿の不評という、ラッキーもあったのだが。

三代目の最高速度は140粁だったが、追加された1587㏄+SUキャブ二連装90馬力のスポーティーな1600Sは、160kmの大台に乗る。同じ頃に登場したツードアは、Bピラーが消えたハードトップの日本初だったと思う。

追加されたハードトップは刺激的スタイルが好評で裕福なマニアのマイカーとなる。またチューニングされてサーキットでも活躍した