1964年、フランスからババ抜きされたようなトンキン湾事件を口実の軍事介入で、米国はベトナム戦という泥沼にはまり込んだ。
その頃までのアメ車と云えば、大型車と相場が決まっていた。
更にWWⅡ以前なら、デューセンバーグ、パッカード、ピアースアロー、デュポンなど超豪華車がガン首を揃えていた。
そんな時代に一台の小型のロードスターが米国に誕生した…その名はオースチンセブンで、実家は英国である。
1906年創業のオースチン社が23年に発表した744cc・13馬力のセブンが大当たりで、世界各国から提携話が舞いこんだ。仏国ローゼンガルド社、独逸BMW、日産。そして30年米国にアメリカン・オースチンバンタム社が誕生、39年までに29万台が生産された。
米国セブンは、大衆車フォードと較べても貧弱な車だったが、意外な評判で、最盛期には年産4000台に達した。ラジオでコメディアンアが「珍奇な車」とジョークネタにして人気上昇。
そして普段は超高級車のオーナー大作家ヘミングウエイ、大歌手アルジョルスン、大喜劇役者バスターキートンなどが、面白がり玩具感覚で乗り回し、それが人気上昇に拍車を掛けた。
で、最初の2年間で2万台も売れたから、当初$425から15馬力に出力向上で$445にはなったが、結果的には量産効果で$300という格安になったことも大衆車としての援護射撃になった。
その後も客の要望で馬力アップは続き、38年/19馬力、40年/22馬力、39年にはスーパーチャージャーまで付いて32馬力にまでも。で、レース場にまでも進出という成功ぶりだった。
さて話は変わるが、皆さん御存知のWWⅡで戦場を駆け巡った四輪駆動車ジープ。兵器として開発された四駆だが、実はその産みの親がアメリカンバンタム社なのである。
39年、ポーランドに侵攻したドイツ軍の電撃作戦で、身軽に荒野を走り回る小型車に米陸軍が目を留め「これは大変」と出した緊急試作命令。それに応じたフォードやウイリスを尻目に、わずか3ヶ月で試作車を完成納入したのがバンタムだった。
なのに不運だったのは、陸軍「工場規模が小さい」の理由で、製造はウイリスとフォードの手に渡る。大メーカーの裏工作という話しもあるが定かではない。ジープは大戦中の僅か四年間で50万台近くを生産するのだから正に{鳶に油揚げを攫われた}という諺を絵に描いたようだった。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。