永井電子機器とULTRAの長い旅

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昭和29年/1954年、全日本自動車ショー(現東京モーターショー)が日比谷公園で産声を上げた。が、出品267台中、乗用車はたった9台。乗用車産業発展途上の日本らしく駐車場は自転車で一杯、少数の来客乗用車は公園周囲の路上駐車だった。

そんな年に創業したのが永井電子機器で、60年に発売したのがエンジン回転計。裕福なオーナーが欧州スポーツカーの回転計に憧れたが日本にはない。で「作ってしまえが」が動機だった。
商品名はスーパーの上だからとウルトラに。が、一握りの日本裕福オーナー相手では数売れず…が、ドイツの通販大手で廉価高品質と人気爆発、月に1万個も売れて、欧州では知名度を上げた。

ULTRAを名乗る最初の製品がステッピングモーター駆動の電子回転計:それまでの回転計はカムシャフトからフレキシブルワイヤーで連動する仕掛けだから汎用品は稀だった

1958年、鈴鹿で第一回日本GP開催。クラス優勝の日野コンテッサに装備の点火装置が、日本でのウルトラの知名度を上げた。永井が開発に成功したトランジスタ・イグニション装置である。
当時の点火装置は、ディストリビュータ内蔵のコンタクトポイントが、断続で飛ぶ火花で焼損し性能低下、髙回転になるほど出力低下する。で、一次電流を弱めて焼損を防ぎ、弱くなった電流をトランジスタで増幅するという仕掛けだった。

GPが終わると大手メーカーからの問合わせにサンプルを納入すると、後は梨の礫…サンプルを手に技術説明を聞くと自社開発という構図に嫌気が差し、永井はメーカーとの付き合いを停止した。

70年代になるとゲルマニュームに替わるシリコントランジスタの登場で飛躍的性能が向上し、モータスポーツに欠かせない用品と認知されるようになり、78年ついにポイントレスのフルトラ方式登場で、セミトラ方式と交代する。

セミトランジスタ方式時代の効能書:5.で特殊コイルとあるのは市販の高圧コイルではなく高性能ULTRA型をという意味。

この間に、運輸省の公害規制対応で脚光を浴び、シンガポールに輸出、ポーランド乗用車公団試験やソ連乗用車公団などの試験で好成績を挙げ注目、採用されたりした。

79年になると、CDI=コンデンサー・ディスチャージ・イグニションの開発に成功、発売。同社シリコンコードと共に、エンジン高性能化には欠かせぬ商品として、レーシングカーばかりか汎用としても活躍したのである。

ウルトラCDIは汎用製品と、トヨタ1G-・5MG、ホンダZCなど、専用品もあった。シールドキャップは放電ノイズをカットしカーオーディオの快適目的で、トヨタや日産など車種別が揃っていた。

今ではF1から一般乗用車まで当たり前の部品として装備されているが、永井は「メーカーがやらないことを見つけて先にやるという」を、長年貫き続けていたのである。

が、時流には逆らえなかったのだろう、長きにわたり高性能部品で時代に先行、業界を引っ張ってきたULTRA電子用品も、2019年秋をもって生産終了という知らせを聞き、青春時代から老年まで、昭和一桁生まれの筆者としては、残念至極の境地である。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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