21年内での生産終了が明らかになったホンダ「オデッセイ」。ホンダを代表する看板モデルの一つだっただけにその終了は残念なところだ。そこで今回は、その歴史を販売台数を追って見てみよう(編集部)
まず初めに、1994年の初代デビューから現在までの販売台数推移を見てみよう。オデッセイは94年10月に発表発売され、翌95年は12万5559台を販売、年別ではこれが歴代オデッセイで最多の販売台数となる。ちなみにこの95年、最も販売台数が多かったのはトヨタ・カローラ。2位は日産・マーチ、3位トヨタ・クラウンで、オデッセイはこれに続く第4位。マークⅡやシビックよりも売れたのだから、まさに大ヒットといえる。
初代オデッセイは、RVブームと呼ばれる時代にミニバンを持たなかったホンダが、苦肉の策として開発したことは有名だ。当時のミニバンの中では低い全高1645mmのボディにヒンジドアを採用し、結果として乗用車ライクなミニバンとなったが、他にない個性が受けて人気を呼んだ。現在なら、さしずめ乗用車とミニバンのクロスオーバーといったところである。
続く2代目も大人気。3代目はやや勢いが落ちたものの、それでも売れたモデルといえるだろう。
しかし、表を見ればわかる通り、4代目で見事なまでに急落。4代目が発売されたのは2008年10月だから、09年に販売のピークが来るのが普通だが、08年より販売台数が減っている。09年は前年のリーマンショックの影響で市場全体が落ちこんだ時期ではあったが、それにしてもモデル末期の3代目が中心だった08年より盛り上がらなかったということは、この時点で既に初代から続いたオデッセイという商品は、事実上寿命を迎えていたといえる。つまり低い全高+ヒンジドアのミニバンというジャンルの終焉である。
この4代目オデッセイは、クルマとしては悪くなかった。ホンダはモデルチェンジでコンセプトを大きく変えて失敗することの多いメーカーだが、4代目はその逆で超キープコンセプト。3代目の改良進化版といったところで、実に手堅いモデルチェンジだったが、それが裏目に出たといえる。3代目ユーザーからは変わり映えしないといわれて代替を見送られ、3代目を敬遠した初代・2代目ユーザーも、もちろん代替しなかった。
そこから見ると、4代目急落の要因は3代目にあったといえる。初代・2代目は確かに全高の低さが人気の要因だったが、3代目は初代・2代目より全高をさらに下げたのは結果としては行き過ぎだった。3代目は初代・2代目人気の余波でかろうじて売れたものの、そこを読み違えてまだイケる、と判断したのが4代目だったともいえる。
実際、3代目の後半は販売不振だったのだから、すでに2000年代中盤には「背の低いミニバン」人気は限界を迎えていたといえるだろう。ただホンダの場合、「背が高い大型ミニバン」はラグレイト、エリシオンが不発だったことも、判断を鈍らせた一因となったかもしれない。
ちなみに、3代目オデッセイ登場から2年後に登場した3代目ステップワゴンも、同様に全高を下げて失敗している。
5代目になって、ホンダもようやく「背の低いミニバン」に見切りをつけて一新。全高を上げてスライドドアも装備したが、そうなると普通のミニバンになってしまい、今度は「こんなのオデッセイじゃない」などと言われる始末。確かに普通のミニバンなら他に選択肢は多く、わざわざオデッセイを選ぶ理由もない。また3代目後半から4代目まで不人気だったことで、オデッセイそのものの存在感も薄れており、思うように再浮上できなかった。なお5代目は16年にもピークがあるが、これはハイブリッド車の追加によるものだ。
販売台数は少なくなっていたものの、昨年には大幅マイナーチェンジも行ったことで販売が続くと思われていたオデッセイ。終了するのは生産する狭山工場の閉鎖が理由だが、他工場に生産を移管しないということはホンダとしても諦めたということだろう。強烈な個性を持ったモデルだっただけに、それが時流から外れた時は生き残りが難しいということの証明でもある。