WWⅡが終わり、民間の物流が盛んになると、タクシーも走り出した。といっても自動車生産は中止、輸入も出来ない、そこで戦争中を生き残った中古車が狩り出された。
走る乗用車なら何でもありだが、やはり戦前大量に国産化されたフォードやシボレーが多かったが、敗戦後もガソリン統制が続いていたので、どれも燃焼釜を背負った木炭車ばかりだった。
が、なにせ中古車ばかりだから、だましだまし直しながら使っても寿命が来る。そこでGHQの生産禁止解除で47年から登場した国産車の出番となる。
で、小型車部門はダットサンやオオタなどが、一方中型は51年誕生のトヨペットSFなどで新旧交代が進む中、本格的タクシー業界をターゲットに開発したトヨペットスーパーが52年に登場する。
翌53年は、田中茂樹ボストンマラソン優勝が明るい話題で、TV実験放送開始で第一回NHK紅白歌合戦が、ゴム風船飲酒運転取締まり実施、ようやくガソリン規制解除で木炭車が消えた年だった。
トヨペットSFがモデルチェンジで生まれたトヨペットスーパーは、関東自動車工業と三菱自動車工業にボディー製作が委託されたので、それぞれRHKとRHNの二形式がある。で、2年間で、RHK3000台、RHN2115台が生産された。
建設工業新聞福田光衛がRHKの持ち主で、ゴルフの帰路「眠いから」と私が運転したが、加速鈍い、乗り心地悪い、ブレーキ効かない、五月蠅い、ノンシンクロ変速機はアップ/ダウンで、シフトの度にWクラッチが必要で面倒な車だったのを思い出す。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。