我々自動車乗りに、ネズミ取りとは迷惑千万なものだが、その始まりはどうやら英国のようだ。20世紀初期自動車など乗り回すのは、金満家の新しがり屋で、昔の日本も同様だった。
昔から金持ちに対するヒガミという鉄則は古今東西変わらない。で、金持ちの鼻を明かそうということで警官がストップウオッチを持ち、物陰にひそむという行為が始まった。
キャベツの葉とか馬鈴薯などをさりげなく路上に置いて、二点間の時間を計測して速度違反を捕まえるという手段である。
雨の日も、風の日も、こうして点数を稼ぎ、一年間で巡査部長から警視に出世したという話しを、英国で聞いたことがある。
また対抗手段として創刊したのが、英国最古の専門紙{オートカー}ネズミ取り情報を、毎週地図にして発行したのである。
さて1963年創立のJAF=日本自動車連盟の目的は、オーナー向けの路上サービスだった。1905年英国に創立のAA=オートモビル・アソシエイションは、職員が自転車で巡回しながら{AA}のバッジを付けた車が来ると止め「この先の角を曲がるとお巡りが」と教えるサービスで生まれたものである。
英国には1865年制定の蒸気バスなどを対象の赤旗法があった。郊外で6.4kph、市街地3.2kphが上限で、車の60ヤード前を、赤旗を持つ人が走るという規則が、自動車にも適用されていた。
不便な赤旗法は1903年廃止で上限32kphにはなったが、気分良く走るとバッタバッタと捕まってしまう。それを回避しようと金持ちが集まり、誕生したのがAAだったのだ。
話変わって20世紀初期、馬鹿げた大レースが二度開催された。
先ず1907年/明治40年のこと、北京→パリ1万6000㎞という大レース。参加車は、イターラ、ドディオンなど5台。二ヶ月後にパリにゴールした優勝車は、イタリヤの名家ボルゲーゼ家皇子のイターラ40馬力だが、時には100人余の人足を引きつれ、悪路や川は車を担いで、というのだからレースと呼んでもいいのだろうか。
翌1908年、馬鹿さかげんでは更に上回る、ニューヨーク→パリ間レースを開催。大西洋を船で渡れば簡単だが、コースは、ニューヨーク→シカゴ→サンフランシスコ→アラスカ→シベリヤ→モスクワ→ベルリン→パリ、実に2万㎞という長距離。さすがにと思ったら、参加車7台が名乗りを挙げた。
優勝は168日でパリ着の米国トーマスフライヤー六気筒60馬力。二位独プロスト/四気筒35馬力、三位伊ジュスト/四気筒28馬力…レース途中、トーマスフライヤー、ドディオン、ジュスト三車の横浜→敦賀間走行が良く知られている。
近頃日本で有名なルイビトンだが、レース車の仏モトブロックのステップにルイビトンの道具箱…自動車が王侯貴族金満家の玩具だったことが良く判る。
写真
1.イターラ1907年と筆者/英ロードモンタギュー博物館で:この車は四気筒・1万4432cc・120馬力・最高速度160㎞。
2.ニューヨーク-パリ優勝車トーマスフライヤー/米ハーラー博物館蔵:直六・72馬力・アセチレンガスの前照灯。
3.モトブロック/仏:金満家オーナーが長距離レースで物入れが必要と思いステップに合わせて特注したルイビトン。