ロイトLP400って知ってますか?

コラム・特集 車屋四六

ランゲンブルク城のドイツ自動車博物館で、ロイトLP400に出会った時は嬉しかった。スズキ自動車初の四輪自動車開発で手本にした車で、これから説明が楽になると思ったからだ。

スバル360誕生の3年前、1955年にスズライトは誕生した。斬新なFWD機構で日本初の量産軽自動車だった。同じ年、フライングフェザー、クラウン、トヨペットマスター、ダットサン110、日産オースチンA50、オータPKが誕生している。

スズキはWWⅡ前に英オースチンセブンを手本に小型車を完成したが戦争で没に。戦後の再出発でVW、シトロエン2CV、そしてロイトを購入検討し、手本に決めたのがロイトLP400だったのだ。
で、プロトタイプ一号車は初代スズライトとは似ても似つかぬロイトそのまま、しかも左ハンドルだった。

ロイト引き写しのスズライトフロンテ試作車:左ハンドルで上方からの一本ワイパー。
最終試作車:右ハンドルになり一本ワイパーは下方に、ラジェーターグリルはスズライトフロンテの顔になっている。

早速試作車で浜松を出発し箱根に。昔から箱根を登り切れば一人前、性能と頑丈さの証明だった。ダットサンの祖「脱兎号」のカタログにも箱根が登れるから、と太鼓判を押している。もちろんスズキの試作車も登り切って万歳三唱。

さてドイツの敗戦は1945年。戦後の復興期には経済的なバブルカーと呼ぶ軽自動車が沢山登場、そんな頃の50年に登場したのがロイトだった。

最初のLP300は、木骨ベニヤ貼りの上に布を貼った安っぽさ丸だしで、全長3200㎜・二気筒二サイクル293cc/10馬力で煙を吐きながら喧しかったと、ドイツ人が云っていた。

が、四人乗れて最高速度75㎞と性能が良く、すぐに人気者になるが、人気の要因は値段の安さにもあったようだ。当時VWの5300マルクに対して3240マルク、ドイツ経済が敗戦貧乏のさなか、安さというのは最優先課題だったのである。

日本同様、貧乏が少しずつ上向くと人は欲が出て来る。で、パワー不足と不満が出始め、53年にボアアップで380cc/13馬力のLP400の登場となる…鈴木のお眼鏡にかなった車である。ちなみにスバル360もLP400のエンジンを参考にしている。

ロイトLP400/独ランゲンブルグ城で撮影

LP400は全長3450×全幅1410×全高1410㎜・車重490kg。日本の輸入元は赤坂の安全自動車で75万円だった。
もっともスズライトが誕生の年にはLP600に進化して最高速度も100粁になり、大手を振ってアウトバーンを走れるようになった。

ロイト社は順風満帆、勢いにのり59年にはロイトアラベラ・水平対向四気筒1Lで本格的四輪市場に進出するが、ライバルのVWやオペル、独フォードなど小型市場の壁は厚く、加えて故障続出と相まって63年で、ロイトの名は市場から消え去った。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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