日産・3代目スカイライン(C10型)試乗記 【アーカイブ】

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旧車の中でも未だに高い人気を誇るのが3代目スカイライン、通称「箱スカ」だ。

ハコスカといえば、6気筒エンジンを搭載するGT-Rや2000GTの“走り”のイメージが強いが、いわばこれは上級バージョン。フルモデルチェンジ時にまず登場したのは、基本形といえる1.5Lエンジンを搭載する庶民的なファミリーセダンからだった。

そこで今回は、このハコスカ登場時の試乗記を紹介しよう。デビュー時に登場した4気筒1.5Lエンジンモデルのものだ。

<交読新聞 1968年(昭和43年)8月25日号掲載>
「ニッサン・ニュースカイライン試乗記」

歴史の年輪を刻んだ名車としてすでに定評のあったスカイラインが、今度、5年ぶりのフル・モデルチェンジをした。根強い愛好者層を持つだけに、新スカイラインの登場はいろいろな話題を提供することだろう。

エンジンは、これまでのDX用をベースにしてローレル用のエンジンとの部品共用化を図り、スタイルはエアロ・ダイナルックと呼ばれる進行方向のはっきりしたフォームだ。ボディ下方の二本のストリーク(筋)と、フロントグリルが印象的である。曲線を描いたリア・ビューも美しい。

さて、ありていに白状すると、私は、このニュースカイラインにもっと激しいロード・インプレッションといったものを期待していた。ジャジャ馬を期待した私はサラブレッドをおもわせる優等生として登場したことに、厚い信頼と、反面、軽い戸惑いを感じたことは事実である。しかし、この感想はニュースカイラインの名誉を決して傷つけることを意味しない。

コラムシフトのギヤは、500キロそこそこの新車のためか、多少固い抵抗を受けたのはやむを得ない。シートの移動は快適なドライビングポジションが得られ、日本人の背格好に似合っている。ダッシュボードは万人向きに厭味のないデザインで好感が持てるし、パネルの奥深く鎮座しているメーター針は見やすく飽きがこないだろう。

視野はカーブガラスで申し分ないが、いっそのこと、三角窓もブルーバードに右へならえしたらどうだったろうか。アーム・レストがちょっとお粗末な気がしたのと、走行中、グローブボックスのフタが二度ほどゆるんでパタンと落ちたのは、どうした加減か。リア・シートの後のパーセル・シェルフが広いのは便利だ。

旧型の独特のライト・スイッチは個性があったし合理的だったのに、ニュースカイラインはなぜ取りやめたのか、これも惜しい気がする。またライトを上向きにすると表示灯が赤くつくが、これは別の色にならないだろうか。ブレーキ表示と間違えてまぎらわしいからだ。

高速で完全舗装の道を走った気持ちは、さすがはスカイラインとうなづかせるものだった。ただ砂利道の悪路でリアのはね上がる感じは意外だった。しかしブレーキの効き目も前輪ディスクで、上々である。アクセルペダルとブレーキペダルの位置の開きが大きいような印象だったので、トゥ・アンド・ヒルなんて、しゃれこみたいご仁にはいささか不満かもしれない。

ニュースカイラインの登場は、当然、ブルーバードとの比較に興味がもたれるし、コロナの購買層に関心をいだかせることになるだろう。走行キロ数で200キロほどの試乗からは、日本のモータリゼーションもとうとうここまできたか、というのが偽らない実感であった。

室内も広い。リア席に3人乗ってもラクなスペースが得られて、高級車の風格はさすがである。ボディ・スタイリングに微細な配慮が払われているが、その割に室内が一般受けする機能とポジションをしているので、ハンドルを握ったばかりのビギナーでも、たのしい高速走行が楽しめるだろう。

ハンドル・ロックされるキィは盗難防止のぜひはさておき、安心感をあたえてくれて頼もしい。ニッサン・ニュースカイラインは安全対策面でもすべて満足させてくれる「すばらしい」車だといってよい。

登場時の新聞広告。ハコスカ=「愛のスカイライン」というイメージだが、これは翌年後半から。デビュー時のキャッチフレーズは“ダイナミック・ファミリー・セダン”で、そのコピーが「オヤジの存在を認識させる車」。「愛のスカイライン」の洗練されたイメージとはかけ離れた、渋すぎる登場である。

<解説>

スカイラインは元々プリンス自動車のモデルだが、2代目スカイラインの時代にプリンスと日産が合併、「ハコスカ」こと3代目は、日産と合併後に開発された初のスカイラインとなった。

2代目スカイラインでは、4気筒1.5Lエンジンを搭載するS50型と6気筒2Lエンジンを搭載するS54型が設定されたが、ハコスカもこれを踏襲。1968年8月1日にまずS50型の後継として1.5Lモデル(C10型)が発売され、2ヵ月遅れの10月にS54型の後継となる2Lモデル(GC10型)が追加された。さらに翌69年にはGT-Rと1.8L車も追加され、車種構成の幅を広げることとなった。

試乗車は4ドアセダンの「ツーリングDX」で当時の価格は67万9000円。試乗記を見るとインテリア面、特に操作系が先代から大きく変更され、この点では不満だったようだ。また未舗装路での乗り心地の悪さも指摘している。当時の一般道はまだ未舗装の部分も多かったから、これは重要な問題だった。しかし室内の広さなどは高く評価されており、ファミリーカーとして高い資質を備えたクルマであったことがうかがえる。

ハコスカはその後2ドアハードトップを加えるなどさらに発展を遂げ、72年に4代目ケンメリにモデルチェンジするまで、大いに活躍を続けることとなった。

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